伝ふ演技ラボ

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日本の文化に沿った無理の無い演劇入門プログラム考えていきたい
演劇の稽古が有名にならなければ、意味が無くなるような内容ではなく、
豊かな人生を送るための基礎となるようにしたい。
このサイトのコンセプトでもある。伝えようとしないことで伝ふものを導き出す
そんな経験や体験を考えていこうと思っています。

   お稽古始めるよ~

*出稽古もします~
皆様がやっている稽古やワークショップへ伺います
気分転換してみたいときや、やる課題がないときにどうぞ
お声がけしてください。よろしくお願いします。

やみくもに行ってもあれですから、なんとなくテーマを出しておきます。
・所作を使ってみる
・視覚と身体の関係性
・感覚を使って動く
・息と呼吸と発声の関係

演劇のレッスン

演劇のレッスンをするところは、その需要を越えて多く存在すると思います。
それでも、演劇のレッスンを始めたいと思ったのは、
演劇はもっと楽しいもののはずだ、いやそうあるべきではと思ったからです。
そして、驚くのは現状そのアプローチ方法が意外と多様性がないということです。

明治に入って、新劇というものが海外から入ってきました。
このとき、その演技法や演出法、発声法も輸入されたわけです。
つまり、すべては舶来ものなのですね。
しかし、日本にも、能や狂言や歌舞伎といった表現方法があり
それなりの歴史も持っています。
ですから、日本的な演劇のアプローチ方法もあって良いと思うのです。

既存の芝居のアプローチ方法に飽きてしまった人、またなじめない人
はたまた、芝居の幅を広げたいと思っている人
もちろん、初めて演劇に取り組もうとしている人
なんらかの有効なヒントを得たいと思っている人。
既存の演劇とは違った概念で取り組みたいと思っている人も。
一緒に試してみませんか?
そして、できるのであれば
しばらくの間、現場至上主義から離れて欲しいとも思います。
演劇という枠が、芸術という枠に入るかどうかは知りませんが、
つねに、即戦力でありたいと思うと結果的には浅くなりかねない。
ですから、少し我慢して、違ったアプローチを楽しんでもらえたらと
考えています。
そして、現場の要求に応えるのではなく
できれば、現場に提案できる立ち位置でありたいとも思っています。

まず、はじめに

僕の疑問は、さりげなくこんな言葉から始まりました。
「気持ちは、込めるものではなくて、生じるものですよね」
この一見、当たり前のような言葉に僕は、愕然としてしまった。
僕はこれまで、台詞に気持ちを込める稽古はしてきたが、
台詞を言うことで、気持ちが起きてくる稽古はしていない。
だいたい、演出家はよく、台詞に気持ちを入れろとか言うし。(余談)
また、そのようなノウハウがあるという事も聞いたことがない。
この一点においても、これまでの稽古法は、
再考の余地があるのではと思ってしまいました。

たぶん、気持ちが起きてくるのは感性の問題だといわれると思います。
感性が豊かな人は、感情も自然と湧いてくるのだと。。
そして、感性を豊かにするために五感を磨きましょうって
だいたいの場合、そういう答えになると思います。
ですから、メソッド演技とかでは、五感の訓練があります。
しかし、感性って五感を鍛えると磨かれるのかな?

この発想の根底にあるのは、現代科学的発想方があると思います。
つまり、刺激に対して反応するという生物反応があるいうわけです。
ですから、よく反応するために、少しの刺激でも感じるようにしようとする。
だから、五感という入力を鍛えれば、よく反応できて、感性も豊かになると
そういう理論が展開されるのだと思います。
さて、五感が敏感になれば感性は豊かなのでしょうか??

次に自分らしさですが、多くの人が自己主張や自己表現のために
演劇をしています。
この自己ですが、自分らしさと言いながらも、
どうしても評価してもらいたいという気持ちが入って来ます。
とくに演劇に関しては、その意味合いが強くなります。
なぜなら、認めてもらえないと使ってもらえないからです。
そういったわけで、自分の意志を強く持てば持つほど
その表現は、一般受けする表現になるというジレンマが生じてしまいます。
そして、世間で認めてもらえるのは演技だけではどうしようもないという
ジレンマも起きてきます。そのため多くの人がまた、演技を磨くよりも、
人に気に入ってもらえることに全力をそそいでるのも現状です。
自分が、表現したいことはほんとうに、自分の個性なのでしょうか??
こういった矛盾を埋めていくのは、
現場を重ねていく経験が必要だと言われるかもしれません。
しかし、常に現場に立ち続けられる俳優は、ほんの一握りの人間だけです。
つまり、多くの人は、芸術を志す機会すらないということになりかねない。
それではあまりにも夢の無い職業になってしまうと僕は思います。

人の評価を気にせず、自分の可能性を試してみたい
そうすることで、演劇という経験が、生活の中で有効に生きてくるのでしょう。
自分の個性が、自分の人間性に由来する瞬間を味わえることが
生活を豊かに経験していける基礎にもなるではないでしょうか?

ハリウッドでは、ばからしく絶対教えてくれない、演劇入門
たぶん、他では誰もやらない教室になるとおもいます。
日本の古い習慣をヒントにしていますが、今となっては、全く新しいです。

 

日本的演劇アプローチとは?

日本には、これといった演劇論なり演劇の為の入門書なるものがありません。
強いて探すなら、ハリウッドの演劇スクールなどで行われている
メソッド演技などが代表的だと思います。
ベタな展開ですが、これらを対象にして比較してみました。

ハリウッド的アプローチと比べてみる?
メソッド演技につて

日本にも古典の演劇がありまして、その表現方法は現代演劇とはかなり違います
なにが違うのか冷静に、比較してみたとき新しいことに気づかされます。
いきなり極論のような事を書いてみましたが、一つの可能性としての空論として
あえて書き記してみました。

日本文化の現代演劇への可能性におけるの考察
身体言語とはなんだろう?

コラム

型の有効性について
結果論と方法論を勘違いしてしまうこと
見て学ぶということ 
舞台に立つという

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東京フィルムセンター映画俳優専門学校にてレッスン
才能が無いという才能
映画と演劇を比べてしまいますか?

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