見て学ぶということ

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 故五代目河原崎國太郎(人間国宝)師がよく言っていた言葉があります
 「人の芝居をみて、良いと思えばあなたの芝居は進歩しています、
  でも人の芝居をみて、悪いところが見えたら、あなたの技術は後退しているんですよ」

 僕は、まだ若くて何も知らなかったので、
 なんとなく、そうなのかなとも思いましたが、おおかたこれは精神論であり
 偽善者的な気分で、理解していたと思います。

 人の振り見て我が振り直せ
 という言葉もありますし。(これは、論語から?)
 人の欠点だって、探すことによって勉強になるんじゃないのかな?
 そんな風に漠然と考えていました。

 ところが、これが大きな間違いなんだということに最近やっと気付きました。

 見て学びなさい

 という言葉がありますし、誰でも聞いたことがあると思います
 みなさんは、このことばをどう、解釈しているのでしょうか?

 これは、芸事を始めた時に云われるので、とても初歩的なことと
 勘違いしてしまいがちですが、ほんとうは、見て学ぶとはとても
 高度なことだと思います。
 ただ、少なくとも江戸時代までは、簡単なことだったのでしょう。
 でも、現代はもう基礎を全て失った時代です。
 そうした僕たちが見て学べるようになるまでには、そうとうな訓練が
 すでに必要な時代になったということだと思います。

 そして、見て学ぶとは、佳いと感じるときにしか出来ないというわけです。

 このことは、座学で説明するのが難しいところですが、、
 たとえば、同調という言葉があります。

 私たちは、佳いと思ったことは、同調しようとします。
 つまり、知らないうちに真似をしたり、動きをなぞったりしているのです。
 これは、ほんとに身体を動かすことから、内的に動かした気分に
 なるとか段階はあると思います。
 しかし、だれでも経験があることだと思います。
 子供が電車が好きなのも、あの大きな電車に同調しようとしているのです。

 要するに、佳いと思うことが、身につくことになるのです。

 逆に、悪いと思ったことはどうなるのか、
 これは、差別化します。わけ隔てるのですね。受け付けないのです。
 ですから、頭で理解することはあっても、身体になじまないわけです。
 これはダメだという知識だけが蓄積されるわけです。
 そして、分かったような気になる。

 これを繰り返していると、頭でっかちになり。分かったつもりになっていても、
 いざ、動こうとすれば身体は思うように動かないわけです。

 見ても身体が反応していなかったのです。

 これで、國太郎さんの最初の言葉に戻って来たわけです。

 見て学べとは、人の良いところを盗みなさいということなのです。

 そして、僕たちに必要なののは、見ただけで動ける身体になるような
 基礎ができているかということが重要なんでしょうね。

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