ひの新撰組まつりを見てきました

2017-05-18

日野市は、新撰組発祥の地として、毎年お祭りをして今年で20回目だそうです。
僕も若い頃、新撰組が大好きで、自分で芝居を書いて主演させて頂いたこともあります。爆
この日は、町中が新撰組の人だらけだったのですが、
想像以上に本当に女性の隊員が多かったです。笑


そして、新撰組といえばとてもわかりやすいこの衣装ですね。だんだら羽織ですね。
色は、浅葱色(あさぎ)。もちろん諸説あるわけですが、
昔のお葬式の色が白と浅葱だったということで、今は白と黒ですが、
この白黒が定着したのは、大正時代ぐらい?昔は白黒は、格式が高く結婚式でも
使われていたようです。白無垢に黒留袖だったりするわけですからね。
つまりは、死に装束を想像させるような衣装で市中を警備していたんですね。
相手を斬ったときに、成仏出来るようにとの配慮なのか、威圧感の為なのか??


ただ、この色だとちょっと濃いイメージですがありますね、どちらかと言えば
水浅葱色になるのでしょうか?↓


みなさんは、どちらのイメージですか?
もともと、浅葱色は、江戸時代に流行したようです。藍染めの一つですが
本格的な藍染めがとても高価な物だったので、もっと手軽にして流通させた染めが
この浅葱色になったようです。ただ、あまりにも流行したので、流行が去ったあとは、
田舎者扱いの象徴にもされた様ですが、、、羽織の裏地に浅葱を使うと田舎侍的な、、
今と変わりませんね。

あとは、羽織紐が象徴的なのですが、これも諸説あって、
こんなのはなかったとも言われています。
皆さんもこの羽織紐は、かなり手こずっている様子です。後ろ姿を見ると分かります。


前から見ても、皆さん胸の前で×になってしまっています。
僕は、どうしていたのかな?と思って古い写真を見てみると、


若くて恥ずかしいですが、羽織紐の処理が違いますよね?
かなり着物の前でゆったりしています。(東京衣装さんにお借りしました)
諸説ありますから、なにが正しいなんてものはありませんですよ。
当時、どうしてこんな羽織紐の仕方をするのですか?と衣装さんに質問したら、
戦闘時は、羽織を脱がずにこの紐に手を通せば襷掛けになるように考えられていると
教わったような記憶があります。実際に試したことはありません。

あと、皆さん二本差しで、素晴らしいですが、羽織の後ろが割れていないのも多く
刀が差しづらいだろうなとも思いました。
それにしても、すごい数の刀が集まった訳ですよね。
素晴らしいですね。

パレードでは、小芝居有り、ちょっとした殺陣があったりととても楽しかったです。
綺麗な女性隊士が多く、思わず参加したくなりました。笑

 

 


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