お稽古はじめるよ Vol 2
2015-10-30
「演技」と「芸」は根本的に違ういう話でしたね。書籍「身体は幻」渡辺保より
「芸」というのは、本人と芸名と役名が同時に存在しているというわけです。
その点が、役になりきろうとしている「演技」とは、根本的に違うというわけでしょうか。
現代の演技を勉強している人たちから見たら、なにか中途半端でリアリティがないと感じるかもしれません。それは、特に観客側ではなく、役者側からの感想だと思いますが、充実感がそれで得られるのかという心配ですね。ここでは何がリアリティなんだという問いは、とりあえず、触れないでおきます。
それはさておき、上の図をみていてふと思った言葉が、
「二項対立からの脱却」これができないと、技の世界に入れない。
というわけです、これは先人達の知恵の一つです。
さて、演技に関していえば、役になりきる言いながらも少なくとも自我は残っていてその自我が演技しているという意識はあるわけです。
あとは、この支点をどこに置くかが、問題になるだけなのでは?
同じように、表現ということもまた、自由と常識の間を行ったり来たりしていたりするものではないでしょうか?
まあ、僕が勝手に短絡的に書いてしまいましたが、もしこういう考え方をしているとしたら、まさに「二項対立からの脱却」が必要なのかもしれません。
つまり、もう一つのなにかが必要なのですね。
三種の神器とか、「序」「破」「急」とか、いろいろと知恵を振り絞るわけですね。
そうすると、「芸」というものが自分、芸名、役名と三つで均衡をたもつとしたら
これは、二項対立からの脱却をこころみた結果なのかもしれません。
では、何が違ってくるのでしょうね。
どうして、二項対立はだめなんでしょうね?
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