運を育てる 米長邦雄

 勝利の女神の判断基準

 勝利の女神の判断基準は二つである。それ以外の事に彼女はおそらく目を向けない。これは、勝負師としての経験から言って、まず間違いのないところだ。
 一つは、いかなる局面においても「自分が絶対に正しい」と思ってはならないということだ。謙虚でなければならない。どんなに自信があっても、それを絶対と思い込んで発言してはならない。
 もう一つは、笑いがなければならない。ということだ。どんなにきちんと正しく身を処していても、その過程でまったく笑いがない場合には、どこかで破綻が生じる。少なくとも大成、大勝することはない。

運・鈍・根

 運が良くなる方法を自分なりに体得している人はたくさんいる。根とういのも、よく知られている。根性、性根です。みんな大事だと思っています。しかし、鈍は難しい。相撲の世界では運・鈍・根は有名だから、言葉だけなら知っている人も多いようだが、これを実践できるかとなると、できる人はほとんどいないんです
 世の中には賢くなろうとしている人ばかりで、鈍くなろうという人はいない。
 しかし、運、鈍、根の三つの中で、鈍こそが究極に位置しており、最も大切である。

 中国明代の儒家・呂坤(りょこん)が書いた「呻吟語」(しんぎんご)にこう書いてある。

 深沈厚重(しんちんこうちょう)なるは、これ第一等の資質、磊落豪勇(らいらくごうゆう)なるは、これ第二等の脂質、聡明才弁(そうめいさいべん)なるは、これ第三等の資質

 聡明才弁、これはわかる。頭が良くて弁舌さわやかならば役に立つ。ただし、それは三番目だと言う。その上の資質、第二等は、なんと磊落豪勇。人間は頭ではなくて肝(はら)だ。秀才、エリートは効率よく仕事をこなすが、何かあるとポキリと折れる。失敗と挫折を繰り返すのが人生だ。そんなとき、磊落豪勇は宝である。
 ところが、第一等の資質、深沈厚重とはどんなものか、聞いてみた。
 たとえば会って話しをしてみたけれど、何だこの男は、ちっともとらえどころがない。もしかしたら馬鹿じゃないか。そうみえる人間。

 「学ぶ」より「捨てる」

 われわれ人間は、一生懸命に努力し、学び、経験を積めば積むほど、そこから得たものにこだわりがちにある。これを絶対視して、役にたつに違いないと思い込む。しかし、そうはいかない。

 鎌倉時代の禅僧・道元は、「正法眼蔵随聞記」(しょうほうげんぞうずいもんき)に「学道の人、心身を放下(ほうげ)して一向に仏法に入るべし。古人云く、百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)如何(いかが)歩を進めんと」という言葉を残している。

 古人云くとは「無門関」(むもんかん:中国の古い禅の本)のことで、この中に「百尺竿頭すべからくこれを歩を進むべし、十万世界これ全身」という言葉がある。
 百尺の竿の上に立って、なお先に歩を進めよ、というわけだ。
 そんなことをしたら、落ちてしまう。せっかく百尺の竿を渡ってきたのに、落ちるのを承知で踏み出さねばならない「心身を放下」しなければならないのだという。

地の気を味方にする

 「天の時、人の和、地の利」という言葉があるが、私は「地の気」を大事にしたいと思っている。タイトル戦は全国さまざまな地で行われるが、その土地の風土や対局場の雰囲気に、自分がスッと入っていけると、不思議にいい結果が出るものだ。
 海辺の対局場なら潮騒が聞こえるし、山間の宿なら、川の音がする。その地方の人の方言も自然と耳に入る。街に特産物の匂いすることもある。するとその中に居る自分が周りの「気」に溶け込んで、自然に、その地を心地よい場所と感じられるようになる。できることなら、そんな気持ちで対局に臨みたいものである。

 信玄いわく。「五分の勝ちをもって最良となす。七分の勝ちをもって中となす。十分の勝ちをもって下となす。」攻撃の理想型を敷いて攻めないことが大事だと考えた。それが「五分の勝ち」

 勝利の女神は、結果よりも過程に興味を持っている。そのことを忘れずに女神に期待に応える戦いをしたいと思った。

 聞く、見るといったことは、誰にでも共通して感じられる客観的な現象だと思いがちだが、実はそうではない。聞いて聞こえず、見て見えずは、ごく日常的にも起こる。将棋のある局面を考えているときなど、一切の音が聞こえなくなっていることがある。耳の鼓膜は多くの音をとらえているはずなのに、脳にはそれが伝わらない状態になっているのだ。
 木魚を叩いている若いお坊さんに、師にあたる僧からお説教があった。いわく「木魚を叩いているようでいかん、木魚の中に入って、木魚と一体となるようにせよ。お前のは、明らかに外から木魚を叩いているとしか思えん」

 「菜の花はね、薹が立ってから花が咲くんだ」
 冬に収穫されなかった菜っ葉や大根は、春の気配とともに中心部から垂直に花軸を伸ばす。これが薹で、「薹の立った」野菜はもう食用に適さない。しかしこれは、穫って食べようという人間の理屈で、菜っ葉も大根も薹が立ってから花をつける。

 

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むかし、米長先生が、俳優の山本學さんのところへ遊びに来たところへ
押しかけていって、貴重なサインをいただきました。笑
それが、これです。   無心

musin

 

 

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