朗読 déclamation

roudoku

 伝ふプロジェクトでコラムを掲載させて頂いてます和田晃一さん主催で、
 開かれていました。
 ワダ☆ナイトの第1回目が「音読を見直さナイト」という題名で、僕はその中で
 ボードレールの悪の華を朗読させて頂きました。
 本を読むとは、もともとは音読のことで、
 黙読するようになったのは最近のことのようです。
 以下、和田さんのコラムより抜粋させて頂きました。

 音読は、司馬遼太郎が言うように19世紀ロマン派の時代までの本を読み解く
 力強いツールであり、
 小林秀雄の言うように「文章らしい文章を、その人の姿が現れるまで
 何度でも楽しめる魅力的なツールです。
 「効率的に知識を増やす」ための読書も大事ですが、
 それのみでは味気ないインストール経験だけが残るようになります。
 創造には想像が必要であり、表現は解決だとするならば、
 解決したいという動機の背景には矛盾が必要。
 相容れない要素の混在から創造が生まれます。

 相容れない矛盾を意図的に作り出すためには、“黙読”よりも、
 身体性をともなった“音読”(朗読)が向いています。
 読書が人の豊かさを作るとするならば、
 「相容れない」何かを経験しなければなりません。
 そのためにも、時間をかけて詩を朗読する機会をもつことは、
 決して無駄ではないはずです。

声を出す事への挑戦

 声を出すと言うことは、すごく当たり前の様に日常で行われていることですが、
 いったん、気になり出すととても難しいことであることに気づかされます。
 私たちが、やまとことばのような日本語がわからなくなってしまったように、
 声の出し方も見失ってしまったのかもしれません。
 もう一度、日本人として声を出すと言うことを朗読を通じて
 試行錯誤してみたいと思います。

 

演劇 Téâtre

 

 

 


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