話すこと聞くこと その3

2017-02-03

hana7

演技をしていて、最大の敵は、台詞を言わないといけないことですよね?
自分の台詞に気を取られた瞬間に相手の台詞が入ってこなくなる
実際は、入ってきているのだけど、
ただのきっかけに過ぎない記号化された物になる。
こうなってしまうと、全てが段取りになってしまうわけです。

もちろん、そうならないように役者さんはいろいろ工夫しているわけです。

余談ですが、会社の会議とかで使うやり方ですが、
自分の発言をまずポストイットに書いておき提示してしまう。
こうすると外の人の意見をちゃんと聞くことが出来るようになる。
自分が何を言おうか考えていると、他人の言葉は入ってこないわけです。

これを避けるためにまずしなければならないのは、
話すことと聞くことの分離だと思います。
話すのは口だし、聞くのは耳だから違うでしょ?と考えるのは早計で
意識としては、同じ場所で、入ったり出たりしている。
なので、衝突や渋滞がおきるという現象があるわけだと思う。
例えば、人が話しているときはちゃんと聞きなさいと怒るのは、
出入り口が同じだという意識の表れだと思う。

古典芸能では、息と呼吸を分けなさいと言われる
息とは呼吸法のことではない。ここは、一息でいわれたら、
途中で息継ぎをしないということでは無いのだと思う。(本当のところは知りません)
ある集中観としての息であり実際の呼吸とは別次元の話ではないでしょうか。
息になれば、吐き吸いが同時に行えるようになる

ということは、ひょっとしたら、
聞くことと話すことは同時に行えることなのかもしれない。
もちろん、そうした場合、識別感覚として聞くのではないのだろうし
伝達のための発声をしているのではないのかもしれない。

この課題は、大変難し問題で、
演技ラボとしては、研究テーマにすえてやっていきます。
もし、解決の糸口がみえたら、ひょっとしたら
演劇の大変革になるかもしれませんね。笑

聞くとは、普通は耳を連想します。
しかし、日本では心に響く音楽よりも、身体に響く音楽が好まれました。
つまり、耳ではないのかもしれません。

悲しい話を聞いて涙するのは、普通ですが
意味もなく涙が出てくること、身体に響けば、理由はいらないのです。
そうした取り組みが、究極日本の芸能が目指していた所為なのかもしれません。

利休が切腹前に弟子に送った茶さじに書かれていた文字が「涙」です。

切腹が口惜しかったのだろうと解釈する方もいますが、
最後に弟子に伝えたかった言葉は、「涙」
それは、所作だけでなしえる究極の完成された
日本の間なのかもしれない。

研究はまだまだ、先があり夢が広がります。

つづく

お稽古はじめるよ~

演技ラボ

 

 

 

 

 

 

 


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