利器の難しさ

kankoku

 少し前のニュースで気になっているのが、チアチア族の使うチアチア語にハングル文字をつかうことが決まったという話。

 AFP通信によると、インドネシアのチアチア人がハングル文字を採用することを発表し、バウバウ市長はソウル市長と面会、ハングル文字を広め文化交流を促進していく旨の覚書に署名したという。

 アラビア文字からラテン文字、ラテン文字からキリル文字など、商業交易や武力侵攻などが複雑に絡み合って、同じ言語であっても記述文字が変わるというのは近代史を繙けば枚挙に暇がないが、無文字だった言語が突如として別言語の文字を取り入れるというのは、かなり稀なのではないだろうか?

 日本語も嘗て無文字言語であったが、朝鮮半島を経て中国大陸との交流が進む中、漢字を取り入れるようになる。しかもその方法は非常にユニークで、中国語をそのまま輸入するのではなく、表記に加えて音、意味を送りながら日本語に馴染ませてゆく。しかもその送った漢文読み下し文のような「アセンブリ言語」も含めて日本語化し、日本語そのものをも増やしてしまうという具合である。

 日本語と中国語、漢字についての詳細は他に譲るとして、論点としたいのは「何故チアチア族はチアチア語に使う文字を求めたのか?」である。

 文字が生まれた背景は端的に言えば「勘定の必要性」であり、集散地である都市がその母胎となる。ブトン島はイスラム勢力の流入が古くから見られ、現在のチアチア族はバウバウ市を中心に6万人が住むという規模である。6万人といえば、福生市の人口とほぼ同じである。

 この人たちが、「文字を使っていなかった」と見るのは恐らく間違いだろう。

 普通に考えて、この規模であれば何らかの勘定が必要であり、その為にはきっと他の言語と文字を使っているに違いない。

 インドネシアの大スンダ列島、スラウェシ島の南西に浮かぶ島にいる部族、という程度しか知らないので想像の域を出ないのだが、日常的に複数の言語を使い分ける人たちは、世界には結構いるのである。

 例えば、世界の6,000言語のうち2,000の言語が存在するアフリカでは特に顕著である。部族毎に異なる言語が使われるが、部族間交流には共通語が必要になる。ガーナには70の言語が知られているが、アカン語はほぼ半数のガーナ人が理解する共通語である。さらに商売用のハウサ語、公用語の英語、そして部族語の4つを家族の中でも普通に混在させて使っていることを、高知大学人文学部の古閑恭子准教授が公開講座で紹介していた。

 チアチア族も、勘定の必要な日常生活はインドネシア語などの文字のある言語を併用していたのではないだろうか?しかし、部族語であるチアチア語は文字を持たないので、他の共通語や公用語の使用が増え、部族語を話す人や機会が減ると言語が消滅する可能性があり、これを防ぐために文字の借用を決定したと見るべきであろう。

 マスメディアの論調も、語族的に無関係な言語のハングル文字を充てる唐突さを強調し、ニュースに反応している個人ブログなどは韓国の文化輸出戦略ではないか?と少々意地悪な見方のものが多いが、日本語は漢字を使用することで豊かな文化を生み出した前例でもあり、更に付け加えるならばこのケース同様、シナ=チベット語族の中国語からウラル=アルタイ語族の日本語への「語族越え文字充当」だったのである。

 ただ、これもまた推測だが、漢字を日本語が吸収した貪欲さは無いのかも知れない。既に他の言語で代用ができているのであれば、何とかして書かねばならないという動機がどうしても弱いからである。

 文字がないと言語は消滅の危機に瀕するというのは確かだろう。現に世界では年間200程度の言語(方言を含む)が消滅しており、その殆どは無文字言語だという。書かれるということはその保存性を一気に高めてくれる。

 しかし、一方で話し言葉の威力を思い知ることがある。

 ジャン・ハロルド・ブルバンの「消えるヒッチハイカー」にもあるとおり、口承は最も原型をよく伝える。雨の夜に一人客を乗せたタクシーの運転手が振り向くと、そこには人が乗っておらず、座席だけが濡れている、という都市伝説は世界中に存在するが、この原型は19世紀のロンドンにまで遡るらしい。

 「ぐるりよざ」という熊本民謡は、隠れキリシタンが発覚を怖れて記述を禁じ、口伝えで聖歌を400年間保存したものである。因みに「ぐるりよざ」はグロリアスという、現在のスペインでは失われた、アンダルシア地方の聖歌が原型であることがわかっている。

 さらに、言葉が文字を持つことの負の面も知っておくべきである。

 小林秀雄の講演録の中で、プラトンと本居宣長の共通点が挙げられている。プラトンはエジプト神話を題材に、文字を作って得意になっている神を、別の神が「文字のせいで人間は記憶をしなくなる」と諫めるという話。一方、本居宣長は無文字時代の古人の不自由さを弟子達が不憫がるのを、その精神が全く困ることは無かったはずだと反論する話。

 文字の誕生によって巨大な世界が描かれるようになる一方で、彼の二人に共通する危惧は、文字に記憶を頼ることによって人間の考える力が低下することである。文字は勘定の必要性から生まれたが故に非常に実用的である一方で、便利すぎるが故に人間の思考、想像、記憶能力を低下させている、というわけだ。

 文字を携帯電話やインターネットに置き換えると、そのまま今の私達に当て嵌まるから恐ろしい。確かにほんの10年前までは携帯やネットがなくても仕事に不自由はしなかったが、今やその生活を想像することすら難しい。頭で記憶している電話番号は10年前の1/10以下であろうし、人名漢字は全く書けなくなっている。便利にすることで他の能力開発がされたというよりも、どうやら脳を怠けさせてしまったように見える。

 それはさておき、少なくとも、語族の違う言語の文字を借り入れて独自の文化を創った先達の末裔としては、メディアの論調を想像力の発揮をすることなく受け容れたり、狭隘なナショナリズムにホイホイ荷担するだけではなく、我々の先達と同じ試みをするチアチア族の応援くらいはしておきたいところである。

 新聞を拡げていると、国内政治欄の見出文字に「融通むげ」とあるのが目に入る。政治家の姿勢を非難した記事だったが、これだけでもう腰砕けである。所謂交ぜ書きだが、「えん罪」「改ざん」「けいこ総見」「党内あつれき」といった記述を見ると、どこの小学校の学級新聞か?と思ってしまう。因みに実際の学校ではもっと深刻で、自分の名前であっても習っていない漢字は平仮名で書くことになっているそうである。例えば小学三年生の鈴木一郎くんは「すず木一ろう」と書くことになる。「鈴木」でも「一郎」でも無くなってしまったこの漢字表記制限を、故白川静博士が見たら何と仰有るだろう。文字は文明の「利器」なのである。使い方に気を付けなければならない。

 交ぜ書きの理由が、難しくて読めない、知的バリアフリーだというのならば、ハイブリッドな、ハイコンテクストな言語を扱ってきた秋津島の民としては少々残念な話である。10年前に比べると漢字は書けなくなっているし、メガ文字化によって新聞の情報量も大幅に減少している。100年、200年前と比較すると、近代史の歩みそのものが能力低下の歴史にも見えてくる。

 技術が進歩すると、その技術に依存して人間の能力が衰えてしまうことをもっと自覚すべきなのだろう。チアチア族のハングル記述に先人達の労苦と叡智を偲び、現代を生きる日本人の一人として少なくとも熟語の交ぜ書きをしないで済むような修行は、自ら進んで行いたい。

 和田晃一さんのコラムより

 

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