消える動きを求めて

消える動きを求めて 黒田鉄山

*等速度理論
加速度運動ではないからこそ、ゆっくりときわめて静かに、動かぬところを動くようにし、動いてはいけないところを動かぬように身体を働かせることにより、調和の取れたひとつの動きを得ることが出来るのだ。そしてその時、その調和の取れた動きはゆっくりでありながら、「最高速の動き」の方法論となるのである。

我々はそこに居つくことを非常に嫌う。そのに居て居ない身体をもとめている。相手は剣なのだということが前提となる動き方、身体の在りようにおいては、そこに居て斬られるようなものはすべて否定されなければならない。
無足の法、浮身という身体文化は、剣というものを対象とした文化であり、身体に関するあらゆることを消す文化である。自我を消すことが稽古の本質にかかわっているということを理解し得なければ、本当の剣というものを学ぶことはできない。

術と呼べるほどの術技化された身体の運用法の裏付けのある型とは、短縮された動きにより、ゆっくりと動いていても、じつは速く動いている。そしてその短縮部分の存在により、動きが消えて見える。これは優秀な筋肉によって眼に見えないほどの速い動きをつくりだしているのではなく、はじめから一般にはない動きとして存在しているのである。こちらがゆっくり動いているから、よく見たつもり、あるいは見えたつもりになることが稽古の懸念である。
そのような見たこともない「型」というものを、本気で学ぶには、それなりの心構え、態度が必要だ。

無足の法だ、浮身だといって稽古をしてきた身体は、そこにいて強さを発揮するのではなく、相手に攻撃すべきものを与えないのだ。強さで隙を防御するのではなく、攻撃する場所がないように自身を消してしまうのだ。

力の絶対的否定
柔術は剣の世界に生まれたものであって、その対象とするものは、基本的にに剣そのものである。そのためとくに型においては型どおりに動こうとしても力をいれればいれるほど相手は動かなくなる。その力は、すべて自分への歪みとして跳ね返ってくる。
それはとりもなおさず、斬りの体捌き、つまり斬れる体捌きではないからである。柔術では正しい刃筋に対してのみ対応することを学ぶのだ。すべて「斬る、斬られる」ということが基準になっている。すっとさわられただけで、傷がつき、血が出るのだ、ということを想定しているのである。

武術の世界において、小さいものを大きく使い、大きいものを小さく使うということは修行の眼目のひとつである。身体を最大に使うことにより、最小の動きがうまれる。

物体を回転させようとすると回転モーメントの法則いう自然界の物理法則が働き、物体が回転の中心から遠ければ遠いほど抵抗が増える。だから野球のバットのスイングなどでは遠く振るために両肘を体側に密着させてその抵抗を極力減らそうとする。体力があれば肘を離したり伸ばしたりなどできるが、力ではいくことのできない武術の世界には、基本原理に体力、素養を前提とするものは存在しない。

ただ体力や筋骨を酷使する稽古法からは、本来の武術的身体というものは生まれない。体力的なものや素質的なものはいずれは必ず衰えるものである。武術が武術たる所以はまさにその壁を乗り越えたところにある。
よく技のみではなく胆力、気力、気迫などといったものが重要だといわれるが、真の武術の技を認識せずに胆力気力を口にすれば、術技の裏付けのない単なる度胸にすぎなくなる。それもせいぜい体力に裏付けられた度胸ぐらいが関の山であろう。

絶望的難しさというのは、そういう身体文化を身近に持たずに、西欧式運動理論や他の文化にそれこそ専門的に携わってきたがゆえのむずかしさであろう。元来、日本人は空のななにこそ色は在るのだという考え、人生観を持っている。形がないなら、何もないのだという西欧的な考えからは、いかに方法論とはいえ、稽古における自己の否定などそれこそ考えられぬことであろう。

だれもみな「自由」になど振る舞うことはできないでいる。ここでいう自由は自然といってもいいだろう。我々は型という身体の高度な運用技法にたすけられて初めて、それこそ自由に動けるようになるものだ。
型により気配を消し、動きを消し、身体を消し、けっして相手に逆らわぬ柔らかな心をつくり身体をつくり、そして我を消し、そこに居て居ない身体をつくり、いけない世界へまさにその肉体のあるうちにいこうとした。

ひたすら消して、消して、消して、消すことを学ぶのです。そして、まるで何もなくなった時、そこの厳として存在する身体は否定に否定を重ねて消えていなくなったはずの、まさに一個の自分自身なのではないですか。そんな喜びの積み重ねが、武術的身体の獲得に他ならないのです。「私」はいったい何なのだということが、ほんのすこしはわかったような気になれますもの。
 

消える動きを求めて―鉄山パリ合宿記

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