武士道十冊の名著 北影雄幸
「葉隠」山本常朝
「武士道に分別出来て武勇なるべきや」
武士道を行なうのに分別ができては、武勇を発揮することができるであろうかという意味です。勿論武士とはいえ、日常生活においては冷静な分別をもって状況を正確に判断することは大切です。しかし、合戦とか真剣勝負、喧嘩等々、武士道に関わる大事に臨んだ時には、分別などは断乎とした行動を妨げる阻害要因となるに過ぎないのです。
右の言葉は禅宗の鉄牛という和尚の言葉で、ある日、山本常朝の甥の山本五郎左衛門が仏道とは何かと鉄牛に尋ねると、鉄牛は「仏道は分別を取って除(のく)るまでなり。別に何の事もこれなく候」と答えました。しかし鉄牛はこれだけでは分かりづらかろうと思い、さらに「士の上にて譬(たと)えて申し聞かせ申し候」といって、
「憶の字は、立身偏に意の作りなり。意は分別なり。本心に分別がつきたる時、臆病者に成り申し候。武士道に分別出来て武勇なるべきや」
と説明したのです。武士が武勇を発揮しなければならぬ時には分別などはさらりと捨てて、やるべきことを断乎としてやってこそ、武士は美しいと鉄牛は説いたのです。
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