無我夢中になって気付く事

niwahana

 僕は小3の時からサッカーをやっていました。
 当時としては、めずらしいクラブチームに入っていました。
 その練習はとても厳しくて、入ったときにいた100名近い同級生も
 小6になったときにはたったの4名になっていました。
 中学へみんなそれぞれの学校でキャプテンになりチームを引っ張っていました。
 僕は、骨を折ったりと怪我とかでだめでしたが。
 そんななか、とても不思議な体験を試合中にしました。
 ボールを持って相手と競り合いながら、ゴール前に、かなり不利な体勢でした。
 でも、僕はその時自分の身体がどうなっても良いからショートしようと思いました。
 僕は、思いっきり蹴りました。ここで僕の記憶は一瞬途切れています。
 そして、気がついたときシュートは外れていたようでした。
 よろよろと立ち上がりながら、僕は不思議な感覚にとらわれました。
 なんだろう、このすがすがしさは、普通シュートが外れて悔しいはずなのに。
 ボールと会話できたような、グランドに自分の身体が
 溶け込んだような不思議な一体感が、僕を包んでいたのです。
 僕は、自然と笑みがこぼれた。
 ああ、そうか、この一瞬のために僕はサッカーをやっていたんだ。
 大学3年で、僕は大学とサッカーをやめました。そして、役者になるんだと言って
 東京へ
 演技の勉強をしながら、役者ってのは、自分の知らない他人になりきることなのか
 そう理解しながら、やってみると努力してもなかなか、不器用でしょうがない。
 集中力が足りないと先輩から言われる。
 それならと、集中力を上げるためにサッカーボールを持ち込んでみたりもした。
 しかし、どうもサッカーと演技はちがう、一瞬リラックスしても、役になろうとすると
 とたんに緊張してしまう。そんなことの繰り返し、それでもしつこく20年以上もやってれば
 それなりに場数も踏むので、ふてぶてしくなってなんとかなってしまうものだ。
 そして何度となく役との一体感を味わったこともある。感動したこともある

 けど、どうなんだろう。あのとき、ボールを蹴って一瞬いなくなった自分は
 いったいどこへ行ったんだろう。
 あの一体感と演技の一体感は同じものだったのだろうか?
 えーーーーっ!
 僕は、この歳で、重大な過ちに気付いた。
 僕たちが、集中と言っていたそのものが、実は違うってこと。
 ゴールを決めて雄叫びを上げる集中と、結果にかかわらず笑みがこぼれる集中
 僕たちはある種のトランス状態を作って、演技に入り、それが技だと思っていた。
 だから、そのすれすれのところで、麻薬におぼれてしまう役者もいるのだと思っていた。
 まったく違うものがあることにいままで気がつかなかった。
 サッカーで味わった集中の世界は違っていたんだ。
 トランス状態でなりきる役ではなく、思わず笑みがこぼれる集中。 
 それを味わうために、役者になろうとしたのかもしれない。
 思えば、長く遠回りをしてきたものだ、すでに33年、随分やってきたのものだね
 ここからの軌道修正は、かなりきついし人生の総否定な感じも受ける。
 でも、楽しみでもある
 そして、その一瞬は、人生の中で、たったの数秒あれば満たされるはずだ。
 そのはずだ。
 やってみるしかないな、そう決意した。

Théâtre
 
 


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