第54回侍クラブ稽古会 構えるということ

2017-06-21

第54回侍クラブ稽古会でした。

身構えるということ、普段の生活の中でもある事だと思います。
何かに対して身構える場合ですが、
この何かが、想定されるわけです。
つまり、何かを想定する限り、当然ながら想定外の事が存在するわけです。
しっかり身構えれば、しっかりした想定外が出来てしまうのです。
しかも、だいたいの場合身構えた状態というのは、可動性が悪いのです。
それを知っている身体は、そんな状態に不安を感じるのです。
精神は、さらにこうした漠とした不安を消すために、意志を作動させて、
やっていることの正しさを、自分に言い聞かせて無理矢理納得させるわけです。

こうした感じを「居つき」と言うのかもしれません。

ひるがえって、ポジティブな思考をするために
人は、目標をしっかり立てることをします。
この目標は明確であればあるほど良いというのが一般常識なわけです。
これを武道でいうことろの構えだとしたら、明確な想定外を作ったわけです。
身体は不安をかんじます。一方で、精神は安定します。
想定を無くせば、身体は安心し、精神は不安になります。
だったら、無にでもなりますか?

人生の目標を立てすすむことのメリットはあります。
しかし、ここでの最大のポイントは、目標を動かないものとして、
死物として扱っている点です。
武道でも、動かないものに目標を定めてすすむのは
とても簡単な話ですが、、、それは自然現象としては稀な部類です。
目標物は、動いていることのが、自然のなかでは当たり前のことです。
つまり運命は、目標を定めて、すすむものだけのものでしょうか?
運命からやってくることを、想定していなくても大丈夫なのでしょうか?
そして、そうしてやってくる運命は、想定した運命なのでしょうか?

こうした人生のヒントを所作のなかから、見出すことが
侍クラブのやっていることの一つだったりして、、、大げさです。笑


もちろん、答えなんてものは、ありません。あしからず。

ありがとうございました。

 

 

 

 


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