喜劇とアドリブと

kyoto3

 日本の喜劇っていつからあるのだろう?
 昭和5年にエンタツ・アチャコがデビューする。
 洋服を着て高座に上がるという新時代が始まる。
 昭和8年吉本興業が萬歳から漫才へと改称した。
 華やかな時代の幕開けのようにも思えたが、昭和16年太平洋戦争へと入っていく。

 終戦を迎えるが、瓦礫と化した大阪で、吉本もアチャコを残して、解散する。
 飢えをしのぐため、それでも舞台に立つためにヒロポン中毒が蔓延する。
 仲間の死、身内の死、原爆、満州からの脱出、
 おびただしい死体の山をみてきた彼らが、
 そして生きていくために選んだのが、悲劇ではなくて喜劇なんだ。
 僕は、何も知らずに喜劇の舞台に立つ、そして彼らは僕に何も語らない。
 お笑い以外のことを何も語ろうとはしなかった。
 戦争のこと、原爆のこと、ヒロポンの事、すべてなにもなかったかのように。。
 ただ、粛々とお笑いをする。
 あるとき、出演者のひとりの奥さんが、
 もうすぐ死ぬという時にどうしても最後に夫の姿をひと目みたいと
 医者と看護婦を同伴で、舞台を見にきた。
 劇場内笑いの渦の中、僕は、舞台の袖で、見ていて涙が止まらなかった。
 なんてことだ、こんなかなしい悲劇はないだろうって、
 この状況で喜劇をする過酷さはなんだろうって、
 僕は舞台に立つ勇気すら失いかけていた。
 先輩たちは、そっと肩を叩き「さ、行くよ」と言って、
 僕を導きそして粛々といつものように喜劇を演じていく。

 この時、僕は気付きました。
 これが本当の喜劇なんだって、先輩たちは何も語らずに僕に教えてくれていたんだ。
 彼らの生き様が喜劇なんだって、
 すごく広大な大地にしっかりと根を下ろした大きな大きな、樹木のように。
 彼らの笑いが、戦争で失ったみんなの笑顔を取り戻すために必要だったんだ。
 その使命をしっかりとわかって、おびただしい死者と数限りない悲劇の代弁者として、  
 鎮魂のために舞台にたっているんだって。

 彼らはその神聖さを心のどこかで意識しているとしか、僕には思えなくなった。

 これが喜劇の始まりであるのなら、ほんとうにすばらしいと思う。

 今のお笑いを僕は知らない。
 吉本はアドリブがすごいよね、面白いよねって言われても分からない。
 ほんとうにそうなの?誰か教えて欲しい。
 喜劇なんだから、アドリブとか入れて、お客さんともっと近くなれば?
 と言われても僕にはわからない。
 僕は、もう古いタイプの人間になってしまったようだ。

 僕が一緒に立った関西喜劇で、大先輩たちが、
 アドリブをしたことを一度も見たことがないから。
 面白ければ、なんでも良いって、気持ちになれないみたいだ。
 どうやら、だめな役者だね。

 

落とし差し

 

 

 


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