伝はるもの その一、「人が作る場」

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墨田区の緑コミュニティーセンターでおこなわれている「ふらっとも」
という交流イベントに参加して、侍クラブのプレゼンをしました。

侍クラブに興味を持って集まっていただいている人たちではありませんし、
積極的に何かを知ろうとして来ているわけでもありませんので、
説明は、とても難しいだろうなと思いました。
それでなくても、僕の場合は説明が下手ですから。笑
しかも、20分という短さ!
順番に説明したら、なにもしないで終わってしまいます。

cafe15

ですから、大雑把な概要説明のあとは、思い切って
無茶ですが、かなり難しいことをいきなりやってみました。

もちろん、みなさんの反応は、「え~、無理でしょう」でした。

ところが、やってみましたら、出来てしまうのです。
不思議なことです。でもどうして、ちゃんと教えてもいないことができるのか?
その謎解きを考えてみるわけです。
この日、助手として、須長さんと田村さんが同行してくれていました。
この二人は特に説明をするわけでもなくただいるだけなのですが、
実はこの二人が重要な役目をしているのだとおもいます。
それは、どういうことかと言いますと。
二人は、この実技が疑いもなく出来ると信じているわけです。
いや、信じているという表現は正しくありませんね。
簡単にできるという経験をすでに共有しているわけです。
これが、ポイントだと思うのです。
この経験の共有が、この部屋の空間に浸透して
「できる」という場を形成したとき
この共有された経験は伝はるのだと思います。

本来稽古場とは、こうした経験を共有する場であったと思うのです。
ですから、道場に入るとき、礼をするのは、
こうした場がある種の力を持ち、場自体が教えてくれることを知っているからで、
すでに道場(場)そのものが師匠であり、
敬意を表するに、当たり前すぎることだったのだと思います。

ただ、現在ではこうした目に見えない力に礼をすることに
戸惑いを感じ、恥ずかしく感じるのは、そうした習慣がなくなってしまったのと、
場の本来の意味が、うまく継承できていないからなのでしょう。

自分も含め、気をつけなければいけませんね。

 

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