L’esprit et le corps. 精神と身体の関係

tokakusshi

D’habitude, on pense que l’esprit monopolise le corps.
L’esprit toujuors traite le corps en esclave.
Quand on va bouger,c’est la même chose pour l’esprit.
Ce n’est pas pour le corps.
Donc au club de Samurai, nous essayons de libérer le corps.
Nous devons jeter ou oublier de soi.
Je pense que ce l’état d’âme “虚”(néant) est la fondations de culture japonese.
Bien sûr c’est très très difficile pour nous.
D’abord nous étudions le Kata.
Mais attention s’l vous plait. l’état de “虚”(néant)n’est pas vide.
Au contraire ça remplit le corps de la satisfaction.
Nous pouvons sentir le corps plein de vie.
Merci beaucoup!

侍クラブでは、殺陣を通じて身体を動かしているのですが、
それは、身体を鍛えるためでも、ストレス解消のためでも、
ましてや、剣豪になるためにやっているわけではありません。
強いていえば、立ちまわりを学んで立ち居振る舞いを綺麗に
しようと試みているわけです。が。

私たちが、身体を精神から解放しようとする試みは、つまりは、身体の存在を否定する試みでもある。なぜなら、私たちが身体と思っているものこそが、精神が作り上げた虚像だからである。我思う故に我あり?
La tentative de libérer le corps de son esprit. Ca signifie la négation de l’existence de son crops en même temps. Parce que le corps lui-même a été crée par son esprit.Je pense, donc je suis?

実は、本当の意味での最大の試みは、
脳のための運動をしないと言うことです。
昨今、脳の全盛期なようで、「脳にいいことだけをやりなさい」とか
「脳を鍛えるのは運動しかない」という書籍があるように
脳がすべてを支配しているような、そんな風潮が、なんとなくあるわけです。
脳という言葉を、精神という言葉に置き換えるともっと例があげられます。
例えば、身体を鍛えるのは、見た目に美しくなろうと精神が望んだことで、
身体が本当に望んだかどうかは分かりません、ましてや必要以上の筋肉は
どう考えても精神の欲求に応えたものでしょう。
身体を動かして汗をかいて充実感を味わうのも、
精神がリフレッシュしたいと望んだだけなのかもしれません。
近代(西洋)では身体に対して完全に精神が上位にいると考えられています。
身体は精神がコントロールするものだと思われているわけです。
それだけでは、飽き足らずに、精神の都合で、身体に絵を付けたり、
切ってみたり、暴飲暴食したりダイエットしてみたりとやりたい放題な上に
なにか問題があると、胃が痛いとか、腰が痛いとか、頭が痛いだとか
まるで、精神の好き勝手に使っておいて悪いのは
身体のせいだ!と責任を押しつけたりします。
責任を感じるどころか、それら結果のすべてを薬にゆだねようとまでします。
こんな現状では、精神と身体が仲良く暮らしているとは
とても言えませんね。同じ自分なのに。。
人生を生きていく中で、身体を道具として奴隷のように扱うのか
対等に考えて、共存共栄を願うのかが問われているわけです。

そんな訳で、私たち侍クラブでは、少しの時間でも良いから
身体に主導権をとってもらい、動いてみることを試みているわけです。
つまり自分の意志を捨てていくことを試みるわけです。
もちろん、それは難しいことです、意志を捨てるのも意志の力が必要ですから。笑
しかし、「虚」とか「無」とかいう言葉が示すように、
このことは日本文化の根底に流れているもっとも大事な感覚かもしれません。
日本文化を理解するには、まずこの感覚を味わうことだとも思います。
また、この難しい取り組みのために
先人達が型という文化を残してくれたのかもしれません。
型どおりに動けば、動こうという意志が消える可能性があるわけです。

そして、最大の間違えやすい事は、僕もずっとそう勘違いしてました。

精神にとって「虚」であったり「無」であったりするのは
身体にとっては「空」ではなく、
満ち足りて躍動感あふれる状態ではないのでしょうか?

このとき、精神で考えていた自分らしさは馬鹿らしいと思えるほどに
自分の可能性に驚きを感じるのでしょう。
身体は、人生の道具という立場から脱却し、よき協力者として
あなたの人生を後押ししてくれるはずです。

どうぞ、一度侍クラブに遊びに来て下さい。笑

 

侍クラブ

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