脳と刀 保江邦夫

弓と刀

 弓道の達人阿波研造師範は暗闇で狙うことができない的の中心を一射目で見事に射抜いただけでなく、続く二射目の矢は的に刺さったままも一射目の矢軸を割くようにして的の中心に吸い込まれていたという。このとき阿波師範はヘリゲルに「「的を狙ってはいけない。心を深く凝らせば、的と自分が一体となる。自分自身を射なさい。」と諭した。
 狙わずして、的を射抜く!
 それだけではない。身体的な目ではなく、心の目、心眼で的を捉えることをここまで具現できることの素晴らしさは、ついには弓を捨ててしまえるどのに深い悟りの境地へと導くことにある。

一刀流夢想剣

 実際のところ、現代にまで伝え残されている一刀流の秘伝の中には、一見不可思議極まりない表現が見られる。一般にはあたりまえすぎて馬鹿にしているのではないかとさ思えるようにしか映らないものだ。つまり、一刀流の極意は単に「太刀を振りかぶり、ただ振り下ろすだけ」とあるのだ。こんな極意などは今さら何の役にも立たないしとしかおもえなかった高弟が、ではいつ太刀を振り下ろせばよいのかと問うのに対し、師は
 「太刀を振りかぶり、相手の後ろ姿を捉えたときにそのまま振り下ろせば必ず相手を斬ることができる」
 と、まさに禅問答のような答えに終始するのみ。

 柳生十兵衛が夢想剣を習得するのに一度教えを受けるだけで充分だった。
 つまり、一刀流の剣術奥義は新たな身体の使い方や太刀の運用などについての熟練を要求するようなものではないということだ。これはまた、小野忠明自身が夢想剣を伊藤一刀斎から授かったときの状況とも呼応する。
 身体運動における妙技を身につけるためには、現代スポーツの場面でよく見られるように一定の期間にわたって連日コーチによる適切な指導と評価を受けながら運動を繰り返す必要がある。それは、いくら頭で理解してもその骨格筋など実際に働く身体組織では頭で理解したとおりの最適動作を行うことができないため、時間をかけて身体組織とそれを制御する神経組織を作り変えていかなければならないからだ。

 

脳と刀―精神物理学から見た剣術極意と合気

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