間合いについて
武道とかで、間合いとえば、そんなことをネットでサラッと調べてみると
相手を制圧することのできる空間のことであったり、
攻めるも守るもどちらにでも動ける距離であったりというわけですが。
どちらにせよ、自分を中心にして都合上の空間として考えているようです。
でも、僕はちょっと違う様な気がしています。
すみません、相変わらず一般論から逸脱していて申し訳ないのですが、
間合いとは、あくまでも相手と自分の共有空間であり、交流点であり、
自分よりも、もしろ相手にとって居心地が良く、動きやすい空間であるのではと。
相手よりも有利な場を選ぶのは、兵法であり、戦略としてあると思いますが、
間合いは、逆に相手の動きを利用するために
あえて、動きたくなるほど良い空間を相手に提供すること
そして、相手の動き出しを利用し、こちらも動き出す。
この時、最初に動き出した相手よりも自分の方が速く動くわけです。
その勝負の分かれ目が、いかに相手より無になれるかという事。
だから、無念流とか夢想流とか、それらしきことを匂わせる流派が
あるのでは、ないでしょうか?
なぜ、無になると速いのか?たぶん、経験すれば、簡単なのでしょうが、
そうもいかないので、あえて科学的に説明するなら、
通常脳が判断して命令をだしそれが伝わるまでに0.5秒かかると言われています。
これは時速20キロで走っている人が3メートル弱ぐらい移動できる時間です。
ほぼ致命的な遅さになります。どんなに刀を速く振るために腕力を鍛えても
一瞬の勝負では無駄なことは明白であります。
そして、悲しいかな筋肉は意志によって動くので、指令があるまで休眠中です。
そこで活躍しなければならないのが錐体外路系の運動のようですが、
こちらは、意志では動きません。
つまり、剣の極意とは、意志を持って無意志を作り出すことではないでしょうか?
無になりなさいといのは、意志を伴った動きは、読まれやすくしかも遅いので
やめなさいと言いたかったのでは無いでしょうか?(居付きを嫌う)
このことを、口伝としたり、奥義として、非公開にしたのだと思います。
たぶん、文字によって残せるような内容ではなかったのでしょう。
そして、何より謎なのが、この運動は相手の動きを利用できるようなのです。驚
だから、相手よりも速く動くことも可能なのです。まったく非科学の世界です。笑
このことは、説明も実証もできませんが、すごく大事なことなのです。
これを信じるとか信じないというレベルの話しでは無く、
確実にかっこたる技術として存在していたのだと思われます。
これらのことは、現代社会では、特に科学的に証明することもできないので
無意味なことと思われるかもしれません。
でもね、そうでもないかもしれませんよ。だいいち、科学で証明できる事っては
ロボットでも出来ることになるわけで、人間である必要性を失うわけです。(偏見)
そもそも、科学は儲けにつながらないことは研究しませんから(かなり脱線)
ちょっと考えてみて下さい。一緒にいる相手が、よりよく動ける間合いを作ることが
自分をかえって楽にすることができるという発想は、夢がありませんか?
そうそう、非科学だから、夢があるんです。
そのために、まず普段のいささかだらっとした空気感をしっかりと
密度を高めきりっとさせ、充実させることです。
この空気感(間合い)こそが、相手の動きを自分に伝わらせて
その動きや、発想を無意識に利用していくことができる可能性を生み出せるわけです。
パリや日本で多くの大衆作家がカフェを書斎としていたことや、
手作業を集団で行う方が、仕事がはかどったりしたことは、ひょっとしたら、
目に見えないこうした力を利用するための智慧だったのかもしれませんね。
相手にとって良いことなら、騙されたと思って実行しても良いでしょう。
お互いに、利用できる間合いをつくるのです。これこそ、ウインウイン?
では、どうやって空気(間合い)を張り詰めさせるのか?
そのことは、日本の文化を冷静に紐解けば、いくらでもヒントがでてくるのです。
たぶん、そういう事が文化の正しい接し方なのでしょう?
そして、これが現代における武士の間合いの利用方法なのでは、ないでしょうか?