家族の昭和 関川夏央
脊梁骨を提起しろ
露伴は「薪割りをしていても女性は美でなくてはいけない、目に爽やかでなくてはいけない」と文にいった。鉈を使うにあたっては、「二度こつんとやる気じゃだめだ、からだごとかかれ、横隔膜をさげてやれ。手のさきは柔らかく楽にしとけ。腰はくだけるな木の目、節のありどころをよく見ろ」という教えかたをした。
「横隔膜をさげてやれ」は、「脊梁骨を提起しろ」と同じく露伴の口癖であった。それが「物事の道理に従う」姿勢であり「美」と「爽かさ」におのずとつながる態度なのである。
雑巾がけを教えるとき、露伴はまず「水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水は使えない」と、文をおどかした。バケツに水を八分目用意すると、「水のような拡がる性質のものは、すべて小取りまわしに扱う。おまけにバケツは底がせばまて口が開いているから、指と雑巾は水をくるむ気持ちで扱いなさい、六分目の水の理由だ」といった。
中略
父が娘に教えこんだものは技ではなかった。「渾身」ということであった。それが体に沁みこむと、文の体も切れ、しまいには薪割りなら「ふりおろした刃物がいまだ木に触れぬ一瞬の間に、割れるか否かを察知することができ」る境地に達した。
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