連塾-方法日本Ⅱ 侘び・数寄・余白 松岡正剛
想像の負-「心にてふさぐべし」
「山水思想」
枯山水は、あたかも山水の実在を否定するかのような”無化”をおこしているかに見える。けれども、そうではなかったのだ。”無化”をおこしていそうなのだが、それとともに、その石ばかりの石組みに日本人は峨々たる遠山と滔々たる水流を見た。それを見る心の中には水しぶきが上がった。ここでは、どうも無から有への、あるいは半有への転位のようなものがあるようなのである。いや、思索と作為の途中にのみ「半ばの無」がかかわったようなのだ。したがってこのような事情については、私はこれを「無」とは言わないで、あえて「負」と呼ぶべきだと考えている。
省略とは引き算であろう。「想像の負」に託することであろう。そこでは、ただ「余り」だけが残ってもよかったはずである。引き算をしていけば余白や余韻だけがそこに残ることもある。俳諧とはそういうものである。
たったこれだけのことがわかるのに、私は二十年もかかっちゃったんですね。
中略
それから「無」の絶対化も違う。そう思いはじめたんですね。それで「負」ということを考えるに至ったわけです。むしろこういうことは「負」の作用というふうに考えたほうがいいんじゃないかと思うようになったんです。
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