大江戸生活体験事情

書くこととその道具 田中優子

 江戸時代の人々は現代のわれわれとまったく異質の筆を使っていた。<巻筆>というものである。巻筆は、芯の部分になる毛の根本を和紙でしっかり巻き、その外側にさらに毛を植える。だから、外見は今の筆と変わらない。しかし、使い込んでも毛は根本までさばけることはなく、独特の弾力を保ち続ける。
 なぜか、この筆は明治以降次第に使われなくなった。明治以降に使っているのは、一般的には水筆という糊で固めた筆か、捌き筆とうい糊で固めない筆のどちらかである。

 筆結(ふでゆい)とは、筆を作ること、またその職人、という意味だが、この言葉には様々な材料を筆にまとめる、という意味があると同時に、巻筆時代の作業工程を連想させる。

 第一印象はやはり強靱さだ。まず驚いたのは、仮名の繊細な線が、私のような素人にも実に美しく書けることだった。特に、仮名書用の筆では、何ミクロンという単位すら可能なのではないかと思うくらい細かく書け、しかも力の入れ次第で自由な弾力が得られる。確かに仮名書きが楽しくなる。

 巻筆を使って感じたのは、江戸時代までの日本の筆は、あまり筆を使わない人にとって非常にコントロールしやすかったのではないかということだ。全体に墨をたっぷり含む筆は、プロしか使えない。ましてや、日常的に書く文字は芸術の書とは違う。手紙、大福帳、日記、記録、本の書き込みは、私のように悪筆の者でも、読める字を気軽にある程度美しく書かなくてはならない。しかも、昔の紙は貴重だった。少ない紙にぎっしり書くこともある。紙の裏に書くことすらあった。
 たとえば、巻紙の手紙は、巻いた紙を左手に持ったまま右手で書く。私は最初、墨が下の巻紙に写るのではないかと心配だったが、実際書いてみるとまったく写らない。学校書道では必ずウールの下敷きをして文鎮を置いて書くが、じつは両方ともいらない。

着物での暮らし

 着物はまず、暖かい。「暖かい」とうい表現は、単に温度のことだけをいっているのではない。体が温かいものに包まれる感覚を想像してみてほしい。何とも気持ちのいい、ほっとする気分だ。もっと微妙にいうと、布によってその暖かさの感触に違いがある。
 もっとも暖かい感じがするのは、意外なことに木綿である。それも、砧でよくたたいて仕上げた、柔らかい薄手の木綿である。
 江戸時代も中期になると、この薄手の柔らかい木綿が庶民の日常着になるが、そのれは「貧しいから」ではなく、木綿を着る日常は世界で二番目ぐらいの贅沢だった。一番目の贅沢はもちろん、絹織物をまとうことだが、実際に着てみると、絹の贅沢と木綿の贅沢は贅沢の「意味が違う」だけで、甲乙つけがたいことがわかる。
 絹はさまざまな織り方ができる。紬はやや硬いが、風通しがよくてさわやかで、軽く活動的に着られる。すべりにくいぶん、扱いやすい。そのほかにも、糸の細さや目のつみかた、多数の種類の織り方で、光沢のある重厚な布、光沢のある軽い布、光沢がなくさらさらと滑るような布、透き通るように薄いのに暖かい布、しっくり体にまとわりつくような布、麻のように体から離れる、硬い頼もしい布等々、絹はどうにでも織れる。とりわけ木綿と違うのは、同じ染料で染めても、色の鮮やかさに大きな違いがでることだ。
 白絹はあくまでも白く、染色はとりわけ美しい。絹の贅沢とはつまり、いくらでも美しくなることである。また、すべるようなまとわりつくような、あの生き物のごとき感触である。しかし時々、それがうるさく感じることがある。
 また、絹の暖かさは、冷たい空気を入れない暖かさだが、木綿の暖かさは、布が呼吸している空気の暖かさであるように感じる。全身が包み込まれ、ほっとするのは、木綿の方が上だ。私は、江戸時代直前から日本中で木綿が栽培され、織られ、普段着として急速に普及した理由がはっきりわかった。

 

 

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