侍クラブ的考え方(ネガティブ思考の扱い方)

2016-10-31

latour

侍クラブでちょっとみんなに宿題を出してみた
ネットによくあるポジティブなブログを引用させてもらって
侍クラブと考え方が同じなのか異なるのか記述せよというものです。
みなさん模範解答ばかりでしたが、やはり実践は難しいでしょうね。
ちょっと補足しておきます。

~引用ブログ~(省略して要点だけです)
貪欲ってわるくない
欲が無ければ進歩も進化も無い
目標のために目的をクリアしようと意欲が湧く
・・・
真っ直ぐな貪欲さは、本当な何よりも強く美しい生き様。
本能の使令のままに、人生を駆け抜けろ。
~~引用終わり~~

こういった記事には最近いいねがいっぱい集まるものです。
いわゆるポジティブなご意見で、しっかりやりたいことを決めて目標を明確にして
それに向かって無駄なく努力することが成功と幸せを掴む方法です、、。
これが、現代における大多数を誇る正統派の理論だと思います。
ところが、古典にそういった記述を残した文献は見当たりません。不思議です。
それどころか、よく出てくる言葉が「無」です。自分を捨てることですね。
これを下克上を避けるための思想の洗脳教育だとおっしゃるかたもいます。
上記のブログの中では、無欲は失敗しても恥をかかないための言い訳だと
ばっさり切り捨てています。
さて、難しい問題ですね。風俗的にはやはりポジティブの勝ちですね。
もちろん、どちらが間違いということは絶対にありません。
ポジティブな意見はそれはそれで、よいと思うのですが、
ただネガティブがダメだと切り捨てるなら、そのことのが問題なわけで、
ネガティブな人とは付き合うな!なんて排除の思想がでるとしたら、
それは、最悪の事態ですね。

こういった考えは案外、両方が紙一重の考え方であったりするわけで、
その分、余計に神経質になる人が出てくるのだと思います。
上記のブログで言えば、目標のために貪欲というエネルギーを行動の原動力に
動くわけですが、そのエネルギーに身を任せるのは、やはり意志を同じくするか、
結局自分を無にしてそのエネルギーを信用するということな訳ですよね?

この「無」に関することは、昭和以前の文献にはいっぱい書かれていますので、
語る必要はないですね。ですから、ここでは書きません。

伝ふプロジェクトでは、放っておけばポジティブに考える今だからこそ
ネガティブな発想の重要性をよく理解しておく必要があると思うので、
ご案内をしてみるというわけです。

・欲について
欲はエネルギー源だと思います。これを行動の原動力にしようという事だと思います。
ここで気をつけたいのはエネルギーという言葉の記号化から、エネルギーを単一の
性格の状態物と判断するのは危険だと思うのです。(理系でごめんなさい。)
動的エネルギー、静的エネルギー、電気的エネルギー、熱力学、量子力学、、、。
欲にも種類があります。
性欲、食欲、出世欲、物欲、安定欲、支配欲、攻撃欲、求知欲、、、、。
さて、貪欲とはどんなエネルギーなのでしょう?

欲というのは、達成されたときに快感を覚える報酬系のエネルギーです。
達成されないと、ストレスを感じるという副作用も持ち合わせています。
僕が懸念するのは、欲というのは、欲のが強いと繊細さを失うということです。
例えば、お腹がすいて食欲が出たとき、焼きそばが食べたいと思っていても
欲が勝れば、うどんでも食べてしまうという事です。
理想の女性があっても、欲のために妥協してしまう。
もっとひどいことになると、ノーパンしゃぶしゃぶのように
性欲と食欲という合い交えないはずのものが、欲ということで結合してしまう。
つまり、ややもすると貪欲って、手段を選ばなくなる可能性を秘めているだけはなく、
いわゆる芸術的な繊細さをも失う可能性を秘めているように思うのです。
だから、より明確な目標を持ちなさいと言うのでしょうか?
もちろん、そればかりとは限りませんが、、
そんなエネルギー体に自分の身を任せるのは、勇気がいる話ですね。
現代がギスギスして住みにくいと感じるのはこの個人の欲を優先するからですよね?

・ポジティブという言葉の持つ呪縛
ちまたでポジティブシンキングといえば、積極的で楽観的な
良いところだけを集めたものを差しますので、マイナス作用はあまり語られません。
良いところどりなので、良いに決まっているのですが、ポジという言葉の
持つ意味や縛りは、決して侮れない事だと思います。
昔の写真はネガでした。ある対象をポジで捉えると空間はネガになります。

上の写真でいけば、東京タワーがポジで空はネガです。
目標を明確に持ちそれを追いかければ、空を見上げることが少なくなります。
余裕を失う可能性があります。(それは楽観的だから大丈夫だと言うでしょう。)
ポジティブシンキングな人は目標を見ているから空を見上げているイメージがあり、
ネガティブな人は地面ばかり見ているイメージですが、
空を見上げても対象がなければ本当には見ていないのがポジです。
目標以外のものが見えなくなっている状態です。
ポジティブシンキングの元祖である西洋の絵画には余白がありませんでした。
ところが、ネガティブな日本人が書く、日本画には余白がたくさんあり西洋人に
かなり衝撃を与えました。
この余白は何も無い空間ですが、言うまでもなく無意味な空間ではありません。
このような思考性はポジティブシンキングの中に作るのは難しいでしょう。
何も無い空間を無駄と捉えてしまうからですね。

・エネルギーとしての欲
さて、貪欲は静的エネルギーなのか、動的エネルギーなのかということです。
まず貪欲なら、それでもう良い結果が得られるのか?
ダメですね。目標を明確に持ちそれに向かって
無駄なく計画を立てないといけない。つまり動的エネルギーではないようです。
ネガティブな人を避けるのは熱エネルギーのようにエネルギーが拡散するからで、
このエネルギーが自然と目標に向かって流れていくようなものではない。
つまり貪欲エネルギーは位置エネルギー的なもので、方向性が定まっていない。
これを上手く誘導してエネルギーを適度に昇華していかないと
ストレスというエネルギーに転換する可能性もあるわけです。
昇華されたエネルギーは今度は補填しないといけなくなります。
こうやって冷静に考えれば、結構やっかいなエネルギーで、身を任せるどころか
常に監視してないといけないわけです。
そして、それが常に目標との差異ばかりを意識することになり
はやく結果がでることが待ち遠しくなり今という時間楽しむことが難しくなります。

・ネガティブという空白に求める昔の日本人とは
自己の自を自我ではなく自然の自に求めた。
つまり自然界にある脈々と流れていくものたち、
それらを目に見えない空白に感じ取ろうとした。
ポジティブではなかなか見つけることが出来ない自然の中の流れ
それを感じとるために無になることを欲した。
感性を研ぎ澄まして自分の乗る流れを見極める繊細さを追求した。
そして、その流れは、動的エネルギーなのでもはやエネルギーからは無縁になる。
ただただ流れに身を任せることに専念するから今という時間が大切であり
変化に富んだ予想も付かない毎日が楽しむことができる。
エネルギー問題から解放されれば、繊細さを追求することも可能になる。

やりたいことや、欲は、生きている実感を掴むには分かりやすい方法だと思います。
しかし、やりたいことや、欲は案外変化したりするわけです。
その時に、その欲のエネルギーや熱を失わずに舵はとれるのか?
まさか精神の力で捏造したりしてはいないか?
そんなとき、もともと流れていくエネルギーを感じ取り、
その流れに自分の感性を委ねる。それがネガティブシンキングなのです。
ダメですか?

 

ずいぶん長くなってしまいました~~。ごめんなさい。

話は尽きませんが、何かのヒントになればと思います。

 

 

 


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