陰陽道の発見 山下克明

陰陽説・五行説

紀元前400年頃、中国で考え出された、世界の生成、循環の考え
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  循環の順序には、五行相勝説(相克)と五行相生説とがある。相勝説は、土中から木の芽が出るので木は土に勝ち、その木が金属に切られるので木に金は勝ち、金は火に溶けるので金に火は勝ち、火は水に消されるので火に水は勝ち、その水を塞き止めるので水に土は勝つという、土・木・金・火・水の順である。
 相生説は、木が燃えて火を生じ、火が灰になって土となり、土の中から金属になる鉱石が生じ、金属は冷えて水を生じ、水から木が生ずるとして、木・火・土・金・水の順序で配列される。

呪術と祭祀

 ちなみに、神官が個人の祈願や祓いを行うようになるのは平安末期から鎌倉時代のことである。しかし、宮廷から広がった穢れを忌避する観念のもとで、平安時代に入ると貴族から庶民にいたるまで祓いの機能を求めるようになり、これをもっぱら行ったのが陰陽師であった。さらに陰陽師はたんに罪・穢れを祓い、神事や除服のときに行う一般的な祓だけではなく、除病・安産・呪詛返却などの目的で、道教呪術の解除の系譜を引き、人形と刀剣をもってモノの祟りを退ける積極的な呪法も行った。
 この積極的な祓を河臨祓(かりんのはらえ)といい、河原で陰陽師が依頼主の衣を撫物として用い、人形や船形・車形・馬形などに災禍を写して流し祓った。その効果を高めるためにこれを鴨川の二条・大炊御門・中御門・近衛御門・土御門・一条の末・河合の順に北上して七ヶ所の瀬で行うのが七瀬祓いある。

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 禹歩

 遁甲の九星(北斗七星に補星と粥星を加える)に請いながら引きずるように九歩あゆむ 禹歩(うほ)という天罡(てんこう・九星)を型どった特殊な歩行法を行い、反閇呪を唱える。
 禹歩は、中国では戦国時代頃から土を踏みしめて清浄化する呪法として行われ、その土は除病や穢などに力をもつものとされたが、その後、道教に取り入れられ、悪霊や兵を退ける法となり、さまざまな祭儀に用いられた。

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 死者の霊と陰陽師

 では、なぜ陰陽師は特定の死者霊祭祀に関与しなかったのであろうか。それは陰陽道が現世利益を目的とする宗教で、死後の世界、来世観をもたなかったことによるものであろう。怨霊や物の気は対立した相手への恨みと現世への執着により生じるが、陰陽師は霊鬼をいったんは退けても、無常観による悟りや即身成仏を説く顕密の仏教でなければ解脱とう精神的な問題は解決できない。
 浄土教の浸透により平安中期以降、貴族たちは人生の終末が近づくと出家するようになるが、賀茂氏や安倍氏の多くの陰陽師もそれにならっているし、後生のため仏堂を県立する者もいた。彼らにとっても陰陽道は現世の職業、信仰であっても、来生を約束する宗教ではなかったのである。

 

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