普通のデザイン 内田 繁

マレビトとしてのカミ

カミを迎えるためには、「ヒモロギ」(神籬)のような「仮想空間」をもうけます。四方に柱をたてそのまわりを「注連縄(しめなわ)」などで囲み、結びます。その場所は「注連縄=ヒモ」の呪術により聖なる空間となります。このような「仮想空間」のあり方も、日本の空間の重要な特性の一つです。
注連縄で結ばれた内部空間は、何もない「空(うつ)」なる空間です。そこには「結ぶ」という観念だけが存在します。ヒモロギには、カミを迎えるための「ヨリシロ(依代)」という「標(しるし)」のようなものが設けられているだけです。「標」には「榊」などの常緑樹が用いられます。そして、カミは、このヨリシロに向かって来臨します。
このような場を、古来の日本の言葉では「ウツ」であるといいます。
「ウツ」は、からっぽ「空・虚」を意味します。「ウツワ」と同根の言葉でもあります。器は何もはいっていないがゆえに、何かによって満たされます。すでに満たされているなら、新たにものを入れることができません。また、「ウツ」は、「ウツロヒ」の語源です。「ウツロヒ」はさらに、「ウツル」=移る、「ウツス」=映す、「ウツシ」=写しへと展開します。「移る」とは変遷すること、固定化されないこと、「映す」は光や影が映し出されるように、別の何ものかを映し出すことです。そして「写し」とは「映し」出されたものを何らかの方法で定着させることでした。これらの言葉は「ウツ」という空虚なものがもつ、自在な可能性をしめしています。
日本では、空間はつねに「ウツ」の状態にあることが望ましいと考えられてきました。「ウツ」は何かに満たされたとき、または何かが起きたとき、その姿をあらわします。突然、「顕現」するのが日本の空間の本質です。「ウツ」なる空間に何かが「ウツロヒ」、そして「ウツツ」(=現)、すなわち現実が生まれます。つまり日本文化においては、現実とは何もないところから生まれるものなのです。日本における空間は、「デザインに先行するもの」や「形の固定化」ではなく、「ウツ」という枠組みだけが存在し、何らかの行為や行事とともにその姿が立ち上がるものなのです。
日本の「仮想空間」は、カミの場、あるいは生命の復活の場でした。「仮想空間」はその自在な仮設性によって、どこにでも出現します。仮設することで、つねに新しいものとして存在します。日本の空間が固定化を嫌うのは、それは固定されたときから腐り、朽ち果て、死を迎えるからなのです。
これは「いま」という時間と空間を大切にする考え方によるものでもあります。こうした生活態度は日常空間にも色濃く反映されており、日本人の空間のとらえ方として今日まで行き続けています。

坐る文化

あらためて考えてみますと、日本人の生活はきわめて特殊だといわざるをえません。それは今日においても、相変わらず家のなかでは靴を脱ぐという暮らしぶりに象徴されます。
「歩く文化」と「坐る文化」の比較文化論においては、じっと坐って感覚レベルに留まろういとする認識方法は、「森林に覆われた風土」の産物であり、立って歩きながら現実を動的に抽象する認識方法は、「砂漠の風土」から発生したものである、と指摘されます。そして前者は「仏教的」であり、「坐俗的」であって、後者は「キリスト教的」であり「立俗的」であるといわれます。
私たち日本人はものを考えるときに必ず坐ります。人と話し合うときも坐ります。坐らないと思考が安定しないのです。しかし私の友達のアルド・ロッシは、考えるときは決まって街を歩きます。ミラノの街を歩きながら考え、話あうのです。

アバンギャルドの思考

本来のアバンギャルドとは、社会、文化、そして建築、デザイン、芸術によって「時代が必要とするテーマ」と「古い時代の因習」とのあいだに生まれる、意識・認識の差を埋めることでした。それはまぎれもなく、新たな時代の「普通」を探すことでした。
そもそも「アバンギャルド」とは、軍隊の先頭に立って未知の敵と接触する「尖兵」のことですが、転じて、芸術上の「前衛」を意味する言葉として広く伝わりました。決して変わったことをすることが目的ではなく、社会の先端で近代社会の定義、普通をみつけるための行為でした。この運動は、絵画や彫刻のみならず、文学、演劇、映画、舞踏、写真、そしてデザイン、建築などの幅広い世界を包み込み、西欧やアメリカをはじめ、東欧、ロシア、日本にまで広がっていきました。
芸術の前衛が目指していたのは「伝統的な芸術の規範との戦い」「前近代的な社会秩序との戦い」であり、そしてここが建築に見られる合理主義とは異なるのですが、「大量に生産される既製品や合理的にしか考えない建築、そしてテクノロジーにたいしての戦い」でした。つまり、合理性と精神性に対する問いかけだったわけです。そのため、それまで芸術として認められなかったものを分解し編成しながらコラージュのような手法の導入、無意識の世界への注目、写真や映画などの新しいメディアの積極的な利用などが行われたわけです。
古い因習との戦いには、「古い時代の思考と新たな時代との認識の差をどう浮き彫りにするか」という問題と、「それをどのような方法によって変換するか」という二つの視点が不可欠です。それは新たな普通の追求でした。アバンギャルドは、それぞれ少々の温度差をともないながらも、さまざまな方向、方法をつくり出してきました。

おわりに

デザインにとって、もっとも大きなターニングポイントは1968年の出来事でした。
「テレビ・メディア」の登場です。
とくに報道メディアとしてのテレビは、抗議運動家の作戦を大きく変貌させました。「マスコミの見ていないところの抗議はないに等しい・・・」という具合に、まずニュースに取り上げられるという運動手法が、抗議運動においてクローズアップされます。

アメリカの「公民権運動」とマーティン・ルーサー・キング、そして「ベトナム戦争」、ポーランド。ワルシャワ大学での抗議デモ、チェコの文化的状況と「プラハの春」、フランスからの「アルジェリア独立」、そして「パリの五月革命」・・・さらに世界中に飛び火した学生運動。これらの背後には東西の冷戦、人権問題、人口増加、物価の高騰、失業者、さらに固有の政治問題など、さまざまに異なった問題がひかえていましたが、1968年は、そうした問題を浮かび上がらせ、抗議手法も提示したわけです。

1968年、パリの「五月革命」にはじまるこうした状況は、その後多くの国へと飛び火しました。それ以前の闘争とは明らかに異なったラディカルな闘いは、文化的そして知的な革命であり、何よりも新たな「認識」の闘いでした。60年代末を迎えて、先進諸国はある種の繁栄を手に入れてました。かつての経済的、そして物資的な闘いは、急速に減退し、既成の左翼勢力や労働組合を中心とした革命勢力は、その争点を見失い、急速に保守化の傾向を示しはじめていました。
こうした地崩れ的な現象は、社会構造をますます硬直化させ、制度化、規範化への拍車をかけることになったわけです。ところが実は、この時期を境に、人々の生活意識、社会認識は、経済の安定とともに、大幅に変化していたのです。情報化社会に向けた急激な技術革新は、現実の社会と社会構造のあいだに大きなギャップを生んでいました。
日本においては「アンダーグラインド演劇集団の隆盛」「ベトナム戦争とフォーク集会」
こうした一連の動きは、工業化社会の歪みに対する新たな認識の闘争であり、一方では制度と規範によって抑圧された人間の心の叫びでした。近代合理主義の理念、モダニズムは、このころすでに崩壊していたのです。

問題とすべきテーマ
・個人の固有性を尊重できるか
自由な個人・・・個人の固有性を尊重する社会・・まさに、「社会のなかの個人」ではなく「個人のための社会」の実現を目指す。
・地域・民族の固有文化を尊重できるか
近代社会は、多くの地域・民族の固有の文化、伝統、歴史、習慣を抹殺することによって、成立しています。しかし、実際にはどれほど近代化が蔓延しようと、多くの地域・民族は生活の基盤を固有の暮らし、ローカリティーのなかに求めています。地域・民族の思考は必ずしも同一のものでもなければ、すべてに画一的なものでもなく、また、それぞれの文化には固有のイメージと象徴体系が存在しています。
・歴史に学ぶ
私たちの暮らしは、まるで歴史とは無関係なものととらえられているかもしれませんが、歴史は決して分断されたものではなく、綿々続いて今日を性格づけているものです。歴史に学ぶとは、ほかならぬ近代が歴史を否定し、合理性だけを理念としてきたのに対し、文化の正しい根拠に立ち返ることでもあります。

 

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