日本の伝統 岡本太郎

真空に咲きほこる芸術 光琳

 いつものように、町角の本屋のショーウィンドーをなんの気なしにのぞいて、オヤッと思いました。そこに、光琳の「紅白梅流水図」がある

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グイと、それは私の全身をひっとらえて、こっちに飛んできました。
 こんな日本芸術を見なかった、という感じでした。私が若くしてフランスに渡ったのも、過去の芸術形式への不信と、絶望からだったのです。とくに日本の、いわゆる伝統文化は弱々しく、暗い。あの気配が私にはいとわしかった。もしそれが自分の血肉の中にある運命だとすれば、それをこそ若い日本人がまず、第一に切りすて、否定しなければならないものだ。そういう自己嫌悪的な反発を感じていたのです。
 このような日本古典に対する私の直観は、いま考えてみても正しかったのですが、しかし、一概に、それをすべての伝統芸術におしおよぼし、かえりみなかったというのはたしかに誤りでした。そしてその事実をはじめて突きつけたのが、この光琳の「紅白梅流水図」だったのです。
 この優美をきわめた屏風絵は、すこしも繊弱ではない。はげしく、たくましく、単純でするどい。ここに完璧な美学、造形性があります。
 日本美術の一つの特性のように考えられている、描きすぎない「ふくみ」、あいまい、肩すかしと思われるような柔軟性はみじんもない。破墨の味だとか、余白の気どりなどで逃げたところはまったくありません。正面からぶつかり、ギリギリ押してくる。
 文人画のように賛など書き入れる隙間とてないのです。隅にある落款さえ、なくてもいいのではないのかと思われるような、きびしく充実した画面です。
 私はかつてこのように正面からぶつかってくる日本画に、ふれたことは一ぺんもありませんでした。
 パリの町なかで、この豪華な石の都のあらゆるはなやかな刺激と騒音のただなかで、光琳の複製画が、しずかにするどく冴えているのです。これはたいへんなことにちがいない。
 光琳ー私は、母国に光琳という芸術家がかつてあり、このような仕事をしたということのよろこびにくらみ、限りない希望と情熱を、日本芸術の運命に見きわめる思いでした。
 もちろん、独自な日本的美観を誇っています。が、しかも、それは、ちょうど世界芸術のもっとも新しい課題である、抽象画の造形性の問題と、みごとに合致しているのです。伝統的古美術へのこの感動はまた、逆に、近代的造型性を最高度に強調する抽象絵画の構成の重要性をも、あらためて確認させるものです。民族的な血と、現に進みつつあるバヴァンギャルド芸術の方向と、その双方にたいして同時に力づよい信頼感をおぼえたのです。

 

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