列島縦断 地名逍遙 谷川健一著

地名は日本人の遺産である。遺産がなければその日暮らしの生活しかない。過去の蓄積がないところには未来はない。
それでは地名が「日本人の遺産」という場合、その遺産とは何を指すか。それは遙か昔から使われてきた日用の言葉が、今も毎日使われているということである。遺産の中には過去には使われていたが、今では使用されてないものも数多い。博物館か美術館の陳列棚のガラス越しにしまわれていて、手にとって見ることも難しい。
日本の地名も、きわめて古い時代から存在し、今も使われているが、それがありふれているために、大切に扱われない。
1962年に施行された住居表示法による町名地名の大改変は主要都市部の地名の六割を消滅させ改変させたが、その教訓は平成の町村大合併でもなんら生かされることがなく、ますます改悪に輪をかけたのである。観光誘致のための広告塔のような地名をつけることに腐心したからである。
繰り返すことになるが、地名は、先史古代から今日まで、とだえることなく使用されてきた日用の言葉であり、それも貴族、武士、僧侶などの一部特権階級だけに占められたものでなく、一般人がふだんに使ってきた。
文化の伝統は持続によってのみ培われる。五年や十年で生起し消滅する文化現象は、風俗であって伝統文化の名に値しない。

・青海(おおみ) 渚の埋葬地
沖縄には死者を葬る青(おう)の島という地先の小島がある。私が「青」は死者と由縁の色ではないかと考える。
田畑英勝は「奄美の民俗」の中で、名瀬の年寄りたちは、空間的もしくは距離とか間隔、つまり「間」の意味にアヲという言葉を使っている。
こうした青という土地の名は、「あやまる」という地名の「あや」と同じように、何かはっきりしないとか、漠然としたとか、はるかな、という意味がこめられているのではないかと田畑はいう。
古代には色は、赤、白、黒、青の四色しかなかった。その中で青色の領域がもっとも広く、緑色も黄色も青色に含まれていた。したがって青というと、それら漠然とした感じを伝える色と思われてきた。

・若狭
若狭は北陸道へと向かう大彦命が、丹波に向かった日子坐王やその子の室毘古王と別れた分岐点である。そこで「別去れ(わかされ)」から、若狭の名が起こったのであろう。
古事記によると大毘古命(大彦命)は越後に向かったが、大彦命の子の建沼河別命は東海の道をたどった。そして、両者は奥州の会津で再会したから、そこを会津と呼ぶようになったのである。

・由比ヶ浜
ユイという言葉は南島に限らず、本土でもひろく使われている。これらの地名がすべて共同作業を意味するものかどうか明らかではないが、海岸に面している所につけられたユイという地名はその可能性が大きい。
ユイとおなじく共同作業を意味する地名に田結、手結などがあるが、もっぱら手を使う共同作業を表現している

・出雲
今日の仏経山つまり「出雲国風土記」の時代の神名火山のふもとに、出雲郷のあったことは、そこが出雲国の西の中心であったことを示唆している。ところで、大社町の方から南を望むと、出雲市の塩治町のあたりに山谷と呼ばれる小さな谷すじあって、そこから霧がむくむくと湧き出て雲が立つ。その様子を見て、今日は天気だとか雨だとかいう。そのあたりの人は三谷霧と呼んでいる。霧がのぼり出すと、それがすっと広がって雲となることから、この出雲郷やその近くを「八雲立つ出雲」というようになったのではないか。
「八雲立つ」という語は、「出雲国風土記」の総記にヤツカミヅオミヅノ命(八束水臣津野命)が、「八雲立つ」と言ったから「八雲立つ出雲」」という、とある。ヤツカミヅオミヅノ命は、国引きの主人公である。オミズノは大水主と解されてる。八束はおびただしいという意。こうして大水を司る神という意味がそのまま神名となっている。

 

谷川健一全集〈第16巻〉地名3―列島縦断 地名逍遙

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