大江戸視覚革命 Timon Screech

  日本では、視覚というものは西洋との出会い以前には、対象から対象へと連想的に動き、見えるものと見えないものも間を、歴史的、美術的、詩的にではあるが論理によっては繋がれていない脈絡に沿って動く、放散し散逸する何かだと思われていた。つまり日本人の視覚の構成はどこかシナプス結合に似ている。見える対象を、既に学びとったものの網の目の中に引きこみ、目に見えるもののまわりに即座に連想の輪をつくることで、これら可視の事物に意味を与えていくのである。ところが「西洋の科学的凝視」は、これとは相容れない視の制度である。ここでいう「凝視」とは、文字通り「凝」らすこと-対象の周囲にあるものを見えなくしようとする視、とでも言っておこう。この凝視は科学的であって、分解し、選別し、対象に専念集中し、対象を自律した個別的なものとして分離し、それらの文化的な背景の方は排除するのである。西洋の科学的凝視は、客観化する精密な観察に根ざしていた。
 それまで日本人が外界の現象を調べる場合、普通はこのようにものを見る方法はとらなかった。また、そう見たからといって、しれが必要な証拠になるというふうには考えられていなかった。日本人が使っていた用語で「科学」に最も近いのは「究理」であった。文字通り「理」すなわち「原理」を追求する、という意味である。原理とは、見える物の背後に存在するものである。頭の中でのみ考えることのできるものであって、実証的に正しいとか違うとか言えるたぐいのものではない。
 

大江戸視覚革命―十八世紀日本の西洋科学と民衆文化

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