場所の記憶 鎌田東二

平田篤胤

 生まれる前の記憶を持つ男の子の話
 特定の父母の子供としてではなく、特定の「家」の子供として再生することを指示されているのはまことにおもしろい。日本人にとっては、個や意識ではなく、むしろ家や場所が問題なのだろう。そういえば、日本人の名字のほとんどすべてが場所を表す言葉であるということは、一体何を物語っているのだろうあか。「場所の記憶」、それが日本文化の秘密を解く鍵であると私は考えている。たとえば、平田篤胤のいう天皇や神国は「場所の記憶」によって支えられているし、また、「産霊」(むすび)という言葉そのものが場所のエーテル的な生命形態、生成運動を表している。
 死の場所(トボス)は幽冥界をしろしめす大国主神の司るところであるとし、再生現象は産土神のはたらきと指導によるものと考えていたことがわかる。

鞍馬山

 魔王尊、毘沙門天、千手観音菩薩の三尊を一体のものとみ、「尊天」と呼んでいる。
 太陽の精霊で、迷暗を破り、人々を大智の光にめざめさせ、幸運と福徳をもたらす大光明の化身が毘沙門天であると説く。千手観音菩薩は月の精霊で、慈愛によって一切衆生を救済化育する大慈大悲の霊体であり、護法魔王尊は地球の霊王で、人々に金剛堅固の不動心を授け、大いなる活力を与える金剛力の権化であると説いている。
 この地球の霊王たる魔王尊は、650万年前に宇宙大元霊なる「尊天」の命令によって鞍馬山に天降りしたのだとういう。永遠の十六歳の若さを保って、地球の進化を司り、人類が遠い未来に水星に移住するときまで人類を守護し誘導するという。
 また鞍馬は、中央アジアの地下空洞にあるといわれるシャンバラへの入口の一つだとういう。

 チ理と心の遠近法

 公武融合をはかった豊臣秀吉と、公武分離というよりも、むしろ武による公の管理をはかった徳川家康との対照は、どこか平清盛と源頼朝との対照を想起させる。絢爛豪華と質実剛健。西方へと脚を伸ばした清盛と秀吉に対して、東方へおもむいて脚をつづめて定住した頼朝と家康。太政大臣となった清盛と秀吉に対して、征夷大将軍となった頼朝と家康。逃げのびて隠れ棲む平家と豊臣家の残党、遺臣とその残念、遺念。
 徳川幕藩体制は、こうした残党、遺臣狩りと、その残念、遺念の制圧、排除の上に成り立っている。統括された時間と空間の遠近法によって、くまなく覆われる均質的かつ一元的なユークリッド空間がここにはある。徳川幕府の巧妙は、このような時間と空間の遠近法の独占管理にあったといってけっして過言ではないだろう。
 江戸幕府は、商品、貨幣、交通、情報など「脚」を必要とするあらゆるコミュニケーション体系を一元的に、しかも二重、三重の緻密なネットワークをもって、全国にくまなく張り巡らしたのだ。貨幣と交通の一元化ネットワークが外部を捨象し、内部の距離、たとえば「粋」や「さび」の文化差異をつくりあげる。
 同時に地図上から外部を排除し、宙外に吊り上げて、外部をもたない太平洋上に浮かぶ一孤島の位置に人工的に隔離した。このとき、日本国土は、かつてない未曾有の思考実験(知)と肉体実験(地=血)の場所となった。自己制御機能をもつ自己組織系の心身は、これ以後どのような表象と記憶をためこんでいくのか。鎖国は、たしかに日本の心身を縮めたけれども、しかし、同時にまた日本の心身を微分的に拡大していったのである。

 言語

 シュタイナーの言語論の特質は、まず第一に母音が常に魂の感情体験の表現であり、子音が下界の模倣であるとして、この二つの音の性質を明確に区別している点である。そして、驚きの中での体験をA(熱)、抵抗に出会ったときの態度をE(反応)、自己主張や進んで世に出ていこうとする態度をI(均衡)、世界を把握し共感をもって内部に包もうとする衝動をO(共感・愛)、霊的なものが物質の中に入って冷却し、地上世界に立つ態度をU(冷)の音とその形態が表しているとする点にある。

 このアーカシック・レコード(アカシャ年代記のアカシャとは、サンスクリット語akasa(虚空蔵)のことである。空海が二十四歳までに体得した「「虚空蔵求開持法」は、「虚空蔵菩薩を本尊とし、見開覚知のことを憶持して、長く忘れざらんことを求めて修する秘法」であるとされる。
 阿波の大瀧獄や室戸岬の洞窟の中で虚空蔵菩薩の真言を唱えながら、いったい空海はどのような「虚空蔵記憶」を霊視したのだろうか。そこで思い出すに至った「場所の記憶」とは何であったのか。
 「声字実相義」
 五大にみな響きあり
 十界に言語を具す
 六塵ことごとく文字なり
 法身はこれ実相なり

 宮沢賢治

 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
 そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・
 ・・・・・ふたきれのみかげせきざいに
 みぞれはさびしくたまってゐる
 わたしはそのうへにあぶなくたち
 雪と水とのまつしろな二相系をたもち
 すきとほるつめたい雫にみちた
 このつややかな松のえだから
 わたしのやさしいいもうとの
 さいごのたべものをもらっていかう

 死に直面している妹の願いに応えて松の枝から「最後の食物=あめゆき」を取ろうとする。問題はその場所だ。賢治はそのとき、おそらく家の門柱であろう「二切れの御影石材」の上にあぶなく立ち上がって、松の枝から「あめゆき」を取る。この「儀式」は、まるで折口信夫がいうところの「恋=招魂(こひ)」の儀礼であるかのようなのだが、その儀式が遂行される場所が「御影石」の上であったということに重ねて注目したい。
 「御影石」は、花崗岩から取った石材で、土木・建築資材として、広く用いられている。子供の頃から「石っこ賢さ」と呼ばれた鉱物少年宮沢賢治が、御影石の=花崗岩の鉱物学的特質、および用途について知らないはずがない。さらにかれは、鉱物の霊的特性についても直観していたはずである。

 折口信夫

 鏡=石=言語、この連関は、くりかえすが思いのほか根深いのである。
 こうしてみると、「石に出て入るもの」という論文の中で、折口信夫が、「石が現れ来るといふ事は、現実の世界で考へると、常は注意して居らず、何時も見てゐて、気付かずに、忘れている物を、或時だけふつと気付くので、総て芸術の源なのです」と言っていることは、じつに鋭い指摘にみえる。つまり、石は忘れていた「記憶」を呼び醒ますというのだ。そして、その「思い出す」ことがすべての芸術の源泉であるという。知識とは、思い出すこと、想起することであると断言したかのプラトンの想起説を思い出すではないか。プラトンと折口信夫は、恋と霊魂と想起と言語との関係について、きわめて類似した直観を展開しているように私は思う。その折口がかつて巫祝の徒、すなわちシャーマンは、「石の形を通して神を見てゐた」と述べているのは、大変興味深い。
 なぜ、石が神を見るための通路になり、媒体になるのか。

 人間は動植物を食べるが、神霊と鉱物は人間の意識を食べる。鉱物は人間の意識を吸い取る力をもつ。それだから、人は、岩石や石を前にしてあるいは石を下にして、精神統一や瞑想や鎮魂や神がかりに入るのだ。私は岩石の中でも花崗岩に魅かれる。
 場所の記憶に、日や水や土、そして樹や石はいかなあるはたらきをしているのだろうか。祈念碑を石に刻むのは、何よりもそれが沈黙し、そして吸い取るからだ。それは憑り代なのだ。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は華やかに語り、その姉神石長姫は静かに黙する。常磐堅磐に黙し、記憶をとどめる。黙ることは、留ること。霊(たま)=玉(たま)ころがることか。しんと鎮まった丸石のように。それならば、話すことは放つこと。忘れ、廻向し、浄めることか。

 まとめ

 聖地とか霊地とか呼ばれる場所には、それ相応の理由がある。特別な場所として聖別するには、必ずいわれがある。
 いったいこうしたイメージの第一行目はどこから来たものであろうか。わたしは、そうしたイメージを探りあてようとするあえかで幽(かそ)けき感覚を「もののけ感覚」と呼んでいる。「もののけ」とは、第一行の霊(モノ)=者=物の気配であり、怪奇つまり「霊の気、物の怪」のことだ。「もののけ感覚」とは、そうした「もののけ=霊冥境界」を感じとる「者の気」のことである。
 神学と自然学と人間学との境界にある第四領域、それこそが妖怪学の領土なのだ。カミ・ヒト・モノのつながりを探る試み、それは妖怪の社会学や歴史も可能だが、ここでは神学とその鬼子たる妖怪論を意識論や身体論へと接地する試みが何よりも必要とされよう。

 

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