人は何故歌うのか

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弓狩匡純氏の著書に「社歌」という本がある。迷曲珍曲が並ぶ名著だが、社歌が存在するのは日本企業の特徴ともされているようである。IBMの社歌は公式サイト上で聴くことができるが、それ以外欧米企業の社歌の存在を聞いたことがない。(御存知の方、是非御一報を。)

80年代後半、日英米政府は新古典派経済理論を全面的に取り入れ、官業の民営化を強力に推し進めた。日本では三公社が特殊形態とはいえ株式会社化する。電電公社、専売公社、国鉄はそれぞれNTT、JR各社、日本たばこ産業になったのはこのときである。

役人根性が染みついた「社員」は、急に会社という組織を貫く価値観だとかメンバー同士の連帯感だとか、そういったカタチの無いモノを意識しなければならず、労働組合運動くらいでしか職場団体行動経験のない職員たちを束ねる執行部は、象徴としてのロゴマークや、社員全員が唱える「社員行動規範」、存在意義を示す「社是」そして、みんなで歌える「社歌」を競って導入する。

独占事業で得ていた潤沢な資金を持ち、赤字部門の切り離しで身軽になった三公社が導入したこれらの「組織としての一体感」醸成ツールのうち、ロゴマークで言えばNTTの「ダイナミックループ」は出色であり、社歌で言えばJR九州の「浪漫鉄道」は、その用途の限定が惜しまれるほどである。

「浪漫鉄道」の歌詞の一部を紹介すると、一番の所謂サビの部分は

♪夢の列車がひた走る 街の目覚めにふれあうように 
 夢の列車がひた走る 人それぞれの願いをのせて 
 海に始まる山に始まる 終わりなき旅へ 浪漫鉄道 

そして、二番になると、
♪♪夢の列車がひた走る 愛と神秘の平野を駆けて 
  夢の列車がひた走る 駅それぞれの幸せ乗せて 
  海に始まる山に始まる 終わりなき旅へ JR九州 

この二番の歌詞はそのままコーダとして使われ、浪漫鉄道=JR九州と、疾駆する鉄道=社員のイメージが重なり、まさに労働歌の傑作といえる。

非効率を改善し、無駄を省いて生産性を上げるドライな民営化に必要だったのは、心に訴えかける、人と人を結びつけるウエットな手法だったというのも面白い。

しかし、この労働歌に着目できたことは幸せなことだった。先日、野中郁次郎の「企業進化論」を再読中、このような引用に出会う。

「おいしいカリブーを食べるために、どんどんエスキモーが移動して、カリブーがいなくなってしまった。・・・ポイント・バローにいたエスキモーたちだけが、あるとき、クジラを獲る方法を考えたんです。・・・お互いに合図を送って、一斉に攻撃するという、タイミングを合わせることができたエスキモーたちだけが生き残ったわけです。・・・その運命共同体人たちは声を合わせ、リズムを合わせる練習をしていたんですね。その練習が歌なんです。太鼓を叩きながら歌うんです。・・・つまり、人間は生きるために拍子をそろえて歌うんです」(出典:小泉文夫「人はなぜ歌をうたうか」)

私達が歌うようになったのは、そもそも生きるためだった。とするならば、職能による歌が生まれるような状態を持てる組織が生き残るのかもしれない。
今の職場には、声を合わせて、リズムを合わせるようなことがあるだろうか?
どんどんカリブーが捕れた時代は終わったことだけは確かな事だろう。しかし声の出し方やリズムの合わせ方は練習しなければできないし、本当はその練習の方法さえわからないのではないだろうか?

既に歌を知っている人は、単に遊びだとか娯楽だとか、慰みだと片付けてしまい、これが生きるための方法だということに気付けないでいるのかも知れない。

労働歌、或いはこれに代わる何かを見つけて練習を始め、お互いに合図を送ってタイミングを合わせるようになる方法を、私達も探求しようと考えている。
※「エスキモー」は生肉を喰う人という差別的な意味が含まれるので現在ではイヌイットと呼称されるが原文のまま引用

 

和田晃一

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