経営者と指揮者

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先日、(公財)日本生産性本部の「学習型リーダシップ」公開講座の講師を務めました。その際、偉大な指揮者に学ぶリーダーシップという話を挟んでいるのですが、それでふと思い出したのがフォンタナ・フィル。6年前に書いたブログですが、待つ力と動かす力のバランスがこれから重要になりそうな予感は的中。因みにこのオーケストラは現在活動停止中。メンバーとの対話、市場(ユーザ)との対話を軽視した指揮者(経営者)の末路は哀れなものでした・・・。

■経営者と指揮者【2007年4月】

企業経営はオーケストラの指揮に似ている。
昨日知人の紹介でフォンタナ・フィルハーモニー交響楽団の演奏会に出かけた。日本初株式会社のオーケストラということで、その御披露目内覧演奏会だったのだが、なんと指揮は社長自らが執っていた。

指揮者はヴァイオリンをはじめとする弦楽器や、トランペットなどの金管楽器、フルートやクラリネットなどの木管楽器、ティンパニなどの打楽器といった、性質の異なる組織を調和させ、演奏者と観客の為に只管奉仕する。そして全てが上手く行ったときだけ喝采を浴びることができる随分損な役割である。
しかも、音楽家でありながら音を発することは無いのだ。
そんな風に思っていた僕にとって経営者自らが指揮をとるオーケストラというのは興味津々だったのだが、残念ながらコンサートは少々お粗末なものだった。

今回、僕が釈然としなかったのは、「株式会社」という組織に対する幻想と、「誰の為の演奏会」だったのか?という点である。

社長曰く「株式会社なので今までの公益法人では考えられない自由な発想で演奏会が企画できます」と言っていたが、果たして本当だろうか?株式会社制度というのは、本来社会に遍在する遊休資本を集めて、小口資金ではできない事業を興すときの言わば集金システムであり、自由な発想の可否とは無関係である。現実的ではないが、配当を期待しない出資者が次々現れてくれれば、やりたい演奏会を採算度外視でできるのかもしれない。しかし「聴衆の望む曲だけ」の演奏会や「オーケストラの演目に入らない曲」でつくる演奏会(これがそもそも善し悪しの議論はさておき)は、株式会社だからできるのでは無い筈だ。ここにはどうも「市場万能主義」の匂いが漂う。
もう一つ強く疑問に思うのは、誰の為の演奏会であったかという点だ。
僕も音楽を楽しむので、コンサートを開く理由に演奏者の為にという要素が入るのは解る。しかし、アートは見る人がいて初めてアート足り得ることも事実であり、聴衆の満足(或いは不満足)無くして演奏会はあり得ない。素人である社長が指揮棒を振ったのは誰の為だったのか?前述のように、経営者と指揮者の類似点を既に指摘していてかなり好意的に見ている僕でさえ、「これは社長の為?」と思ってしまう。
コンサートにせよ組織にせよシステムやWebサイトにせよ、凡そデザインとは「誰の為に?」を徹底的に考えるべきものである。昨今の起業ブームにおけるベンチャー社長連のかなりの数が「自分の為に」会社を創った人達である。自分の為にデザインした自分の為の組織で、そのメンバー達は疲弊してゆく。「メンバーと自分の為に」デザインされたものは、幾分マシだがいずれ観客から見放されてゆく。つまり「ユーザーとメンバー、そして自分の為に」デザインされていることが上の上ということなのだ。ユーザとメンバーとの対話にアートを使い、彼等の満足の後に初めて喝采を得る。これがプロというものだろう。

 
試食会で不味い料理を出してしまったレストランのように、自分たちの実力を世に問う折角の機会を活かせなかった感は否めないフォンタナ・フィルだが、僕は決して悪く思っているわけではなく、むしろ経営者を指揮者に「見立てた」オーケストラの今後の活躍に期待したい。社長もメンバーもきっとこのコンサートから組織とコンサートのデザインについて多くのことを感じ取ったはずだ。

 

和田晃一さん

Courrier

 

 


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