話すこと聞くこと その1

2016-10-14

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*話すこと聞くこと その1 お稽古はじめるよ Vol 11

言葉を発するとはどういうことなのか?
原点に立ち戻って考えてみる
結構、重要なことであると思う。
現代では、言葉を発するのは情報伝達のためだと言うでしょう。
そんなことのためだけに、言葉を発していたのでしょうか?

犬は、ワンワンと言ったり、わお~って吠えたりします。
確かにワンワンは、何かを発信しているように感じられますが、
わお~って、どうですか?
僕は、こちらは共鳴しているように思います。
なにか、響き合っている。
そして、ひとりぽっちではないことを確認しているような、
そんな気がします。

そうすると、目的の違う発声が存在しているわけです。
発信と共鳴
今の私たちは後者を忘れかけている

発声練習といえば、相手に伝えること遠くに届かせること
正確に物量ともに揃えることを目的としている。
言葉は自ら発し、外へ出て行くものとして捉えています。
腹式呼吸でしかも、腹筋を鍛えろなんてことになります。

では共鳴とは?
目に見えないものを重んずる日本文化に於いて、
神様の存在を確認するために、神の(訪れ)おとづれつまり音があります。
結界に張られ縄の柱には御榊があり、音づれの手助けをします。
祀りごとで、発せられる人々の声は、これら訪れとの共鳴かもしれません。

こうした観点からいえば、西洋の音楽と日本の伝統芸能の発声法は
根本的に違い、受動性が強く、繊細であることは言うまでもありません。
この場合、発声は自ら発するのではなく、
自分の中に入ってきた音を大切にし身体を共鳴するという方法で、
言葉が発せられていくわけです。
感受性が大切なのであって、腹筋はもはや関係ありません。

神社に行けば祝詞を聞くことができます。
これは、少なからずヒントを頂ける機会です。
以前は、祝詞はすべて即興であったとか、
そして、日本語はすべて二重母音であったとか(文献を忘れました!)
例えば かけまくもかしこき と始まるところを
くあけまくも くぁしこき と始まると、一気にお腹へ音を落とすことができます。
試してみてください。
もうすことを を まおすことを とすれば、祝詞らしくなりますしね。
これらは、神に願いを伝えることよりも神様とともに共鳴する
つまりは場との融合を志した場の文化としての日本が見えてくるわけです。
身体を共鳴させて、感性をみがいていく祀りとはそんな教育の場でもある。

合気道のかけ声も昔は、いえーいあーとうーと二重母音にして
お腹から動くわけです?笑

聴覚は、視覚や言語よりも先んじて重要である訳ですが、
現代はそれをないがしろにしているようにも思う。
人の話を聞かない若者が増えているのはそのせいか?笑

それだけ現代において聞くという技術はとても難しい問題に
なっているのかもしれません。

つづき

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