お稽古はじめるよ Vol 9

2016-05-31

naimono

※無い物について※ 余談になります

視覚の2で書いたように、透過性のために視点が定まらず
見るという行為が連続するとき、視線は消えて見えない物を見ようとする。
世の中には、見える物と見えない物がある。
見える物を見るのは集約的集中の世界であり、
その集中は、新しい刺激がなければ持続が難しい。
見えない物を見ようとするのが、拡散的集中で持続が容易である。
そして、幽玄に代表される日本という文化は、
まさに見えない物に向かっている文化なのかも知れません。
一方現代は、科学を信仰していると言っても良いぐらい科学中心の世界ですが、
その科学というものの大命題が、どんなことでも可視化することです。
そして、見えない物は信用しないし、それどころか、無かったことにして
無視をするということが、常套手段として使われてきているわけです。
そのことに何の違和感もなく普通に受け入れて生活をしているのです。

ちょっと待って下さいね。日本の文化は、見えな物に向かっているのでは?
という仮設をたてたならば、科学とは真逆な立ち位置なわけです。
つまり、私たちの日常は日本の文化を否定することから始まっているのです。
ダブルスタンダードといえば聞こえが良いですが、要はちゃらんぽらんなわけです。
日本の文化は、好きだけど見えない物を信用するには科学的根拠がないから嫌だ。
だから日本文化を見える物、買える物、味わえる物、などに限定しよう。
とまあ、こういった具合の不思議な現象が、まかり通るわけです。
日本文化という商品化ですね。それは普通の場合、文化とはいいませんが、

sakura
ある女性が桜を見て、悲しいと思ったとします。
それは、桜の中にある悲しみを見たのか?
単に彼女がネガティブな発想の所以なのか?

現代社会では、当然後者として、精神科医に案内されます。笑
しかし、この悲しみは、本当に彼女特有のものなのでしょうか?
それとも桜が持っている一つの見えない姿なのでしょうか?

感性という言葉がありますが、誰でも豊かな感性を持ちたいと考えているかもしれません。
しかしこの感性とは、当然、あるものをあるがままに見ていたのではだめで、
そこには見えていないものを感じるとることです。
ですから、科学的根拠が乏しい人が感性が豊かと言われるわけですか?
それとも因果関係に基づいて発想するひとのが感性が豊かなのですか?

このことを自分なりに答えを出しておかないといけないのかも知れません。

因果関係で結ばれた感性は、直線的であるベクトルが生まれ集中が集約されます
根拠無き感性は、希薄でつかみ所が無く拡散的集中が生まると思います。

演技ラボでは、当然非科学的に見えてない物を見て感じ取ったことを感性として
扱って行きたいと思っています。
そうすることで感性が磨かれて行くのだと思います
そして、その感じ取ったものがその場の人たちと共有されたときに
ある幽玄が花に変わり、演者と観客との壁が崩れて一座建立を果たすのでは?

そう信じつつ、、

つづき

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