身体集中ということ

2017-02-09

suwa2

集中には、集約的集中と拡散的集中があるという話はしました。
それとは、ちょっと見方を変えた話です。

演技をしていると、舞台などはおおむね二通りのタイプの集中方法の人に出会います。
本番前に声もかけられないぐらい集中して万全の準備で出て行く人と
出番の直前まで、全く関係無い話題で盛り上がって、慌てて出て行く人です。
後者の方は、不真面目そうに感じるのですが、芝居はしっかりしていたりするのです。

僕の三味線お師匠さんだった人は、それはそれは切れ味の良い三味線でした。
でも、演奏の直前までは、オネエ言葉で、話しているのです、、それが、
演奏の「いよっ」と言った瞬間に、激しい三味線を弾き始めるのです。
僕はまだ若くて何も分かりませんでしたが、そのメリハリには、驚くばかりでした。

こうして比べれば、日本的集中法は後者だということがなんとなく分かりますね。
例えば、日本の能舞台では、公演前に準備体操もしませんし、発声練習もしません。
テンションを上げるなんてこともないと思います。
役作りに思い詰めて、ハリウッドの俳優さん達が麻薬に手を出したりするのとは、
イメージとして全然違うわけです。役作りなんてしていないのでは?と思うほどです。
そして、「いよっ」と言った瞬間に、深い集中状態をつくるのです。

これらの違いは、どういうことなのだろうか?という疑問は当然浮かんできます。
演技スタイルの違いだから、しょうがないです、では済ませたくないところですね。
若い頃は、そんなことは各自の勝手でどうでもいいやと思っていたのですけどね。

話は変わって、
僕たちは、小さい頃から、学校で、集中しなさいと先生に言われ続けてきました。
そして、その集中の仕方を教えてくれた先生は、一人もありませんでした。
つまり、集中とは各自が能力として誰でもできること、という常識があるようです。
これはどういうことかと言いますと、
つまり集中とは集中しようと思えば誰でもできること、というわけです。
(文科省がやる気が無いだけかもしれませんが、、いやそんなことはないです)
思えば出来るわけですから、これは精神集中になります。
ハリウッドにむかしあったメソッド演技というのも、方法論ですが、精神集中のようです。

精神集中は、崩れやすいので、出番の直前に話しかけられたりしたら怒ります。
そして、準備に案外時間が掛かるわけです。終わったあとの余韻も大変です。
では、「いよっ」と言った瞬間に、簡単にしかも深く入る集中とは何なのか?
これは、日本文化の特徴でもある身体集中のことなのではないでしょうか?

精神のすることは、身体集中に入るためのサポートをするだけで良いのです。
ですから、本番の直前まで馬鹿な話をしていて、
そして、「いよっ」と言えば、身体集中に入り、精神のお仕事は終わりなのです。

身体集中の良いところは、学びが出来るという事です。
精神集中でのそれは、結局のところ経験をつまないとだめな事が多いのですが、
身体集中の場合、稽古でほとんどまかなえるわけです。
(どういうことかと言いますと、武術で言えば、戦闘の経験はいらないし、
演技で言えば、人殺しの役をやるのに、人殺しの経験はいらないのです。
つまり、経験があります!というのは精神上の話ですから、身体とは関係がないのです)
じゃあ身体は何も知らないのかと言いますと、ちゃんと暗黙知があるわけです。
要は、口で語られるような経験は、戦力として考えてないわけですね。

日本文化で行われてきた集中とは、精神集中ではなく身体集中であった
ある集中は、ある型を生んだ、この型を学べば、
ある一つの集中状態を作る事が可能であった。
つまり、学校の先生が、生徒に集中しなさい!と命令すれば、
生徒は、先生どの集中に入れば良いですか?と聞いて
その型を取れば良いわけです。なんてすっきりした教育現場だ!笑

つまり演劇における集中観とは、型を再現する事から始まり、
ある型からある型へと型の移行や変化しながら、感性の発動が起きて、
それによって生じる集中観の変化が演劇的ダイナミズムとして
捉えようとしている試みのことではないでしょうか?
また、型の中には思想も含まれていて、型の文化の厚みを作ります。

例えば立つということ
立つことはどういう思想なのか?それによって
型はどう作られていくのか?

つぎにつづきます。

参考:舞台に立つということ

お稽古はじめるよ~

 

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